こだわりから解き放たれて
 第三章 ガンからの出発  -健康探しの旅-
2、ようこそあけぼの会へ

ワット隆子著『けっしてあきらめないで』という本に出会ったのは、当時の孤独感の中でまさに戦友を得た思いでした。
この本は二人の子持ちの、37歳の主婦である著者自身が乳癌に罹り、その苦悩の体験を、勇気と行動力に切り替え、「あけぼの会」という患者同志の助け合いの会へと発展させていった、七年間にわたる日々の克明な記録でした。
死の淵を垣間見た者が、研ぎ澄まされた心で語る生への讃歌は、そのまま私の心の中へも伝わってきました。
あけぼの会は1978年、著者の毎日新聞に掲載された「乳癌体験者の集い」への呼びかけの記事がきっかけで、17人で発足され著者のリーダーシップによって会員数は3000人を超えています。

著者のワット隆子氏が最初に乳房にしこりを発見したのは、1977年1月と記されています。私の母が最初に発見したのはその三ヵ月後の4月のことです。あけぼの会はその翌年、母の術後七ヶ月目には発足されていたのでした。
こういう時の経過を追いながら、母のガン経歴を著者の記録に重ね合わせると、当時を馳せる思いはつのります。もし母が、新聞に掲載された呼びかけの記事を見ていたならば、必ずや応募していたことでしょうし、そうであれば、どんなにか心強く、また偏見や無知による苦悩も、希望に変えてゆくことができたであろうかと、ガン戦友と闘病する母の姿を思い描きます。
「ようこそあけぼの会へ」 入会すると、ワット隆子会長直筆のメッセージと会員名簿が送られてきました。
健康な人たちが、まるで別世界に活きているようで、ひとり取り残されていた私の居場所をやっと見つけたという思いでした。
日本全国から集まった三千人余りの名簿の中から、少しでも私の近くにいて、しかも術後歴もそうかけ離れていない人を夢中で探し出しました。その結果、同じ地域に住む、術後六ヶ月先輩のYさんを選んでは早速電話をかけるのでした。

「あけぼの会の会員名簿を見てお電話をかけさせていただきました。はじめまして。」
受話器の向こうからどんな反応が返ってくるか、内心ドキドキしていました。人によっては思い出したくないと接触を避けている人もいると聞いています。再発して苦しんでいることも考えられます。
「手術ごくろうさま。」
案ずるには及ばず、優しく明るい声が返ってきました。同病であれば多くを語らなくても気持ちは通じ合います。私たちは早速会う約束をしました。

 たまプラーザの東急百貨店のロビーに待つYさんは、髪を頬の長さに切りそろえた細面のすらっとした人。術後九ヶ月とは見えないほどしっかりとしていて、買い物がてら車を走らせて来たと言いながら、後輩の同病者を庇うように私の背中に手を回し、歩き始めました。私たちは昼食を共にしながら、ガンの発見や手術後の経過などを話し、時間の経つのも忘れて、旧交のように親しく互いのおかれている立場を確認し合うのでした。

 入会後まもなく、神奈川支部の会員を対象とした集いが開かれました。私は行きたくても術後の浅い身では、人混みや電車の中で胸を庇ったり、またバスの振動に身体を支えるだけの力は出せず、外出の怖い思いは拭い切れません。けれど私はガンの戦友に無性に会いたく、皆がどのように不安と孤独とを乗り越えているのか、この目で見て聞いて確かめてみたくなりました。そこで親しくなったYさんを道連れに誘い、出かける決心をしました。

 新横浜のとあるホテルのレストランに集まった会員は約50人。皆同じ不安や悩みをかかえ、それをひとつひとつ乗り越えている人たちばかりです。どのテーブルのグループもすぐに打ち解けて、賑やかな体験談に花を咲かせています。皆とても元気に見えます。やがて会長のワット氏が現れると、まるで信者が教祖を仰ぎ見るかのように、どよめきそして静まり、励ましの言葉を待ちます。
「私たちはガンというイヤな病気をしましたが、代わりに得るものもたくさんありました。失くしたものを追想する暇に、得たものが何であったか、静かに考えてください。これからは自分の気持ちにありのままで生きていきましょう。」とひとりひとりに視線を合わせながらこう語りかけます。

 実際、どうしてガンになったのか本当の原因は誰にも分かりません。自分の気持ちを抑えて抑えて、ストレスが爆発したのかもしれません。
「これからは、好きな人と好きなことをやり、好きな話をし、好きなものを食べて生きよう。嫌いな人とはもう付き合わない!」 などとガン体験者の他愛のない言葉さえも、ガンを患った者のみが理解できる涙の出るほどユーモラスな意思表示なのでした。

 やがて自己紹介の順番が回ってきました。
「私は三ヶ月前に手術をしました。退院する時に医師にもう二度とガンにはなりません、と言ったもののその確証がなく、毎日悶々と過ごしておりました。そんな時に『決してあきらめないで』という本を読み、とても感動しました。そしてあけぼの会に入会し、Yさんと友達になりました。今日はそのYさんに連れてきていただきました。」
力のない小さな声で自己紹介する私に、ひとつひとつ頷きながら、「三ヶ月じゃまだ大変でしょう」と言うワット隆子氏の大きな瞳で見つめられると、やはり優しさと包容力を感じ、会員が慕ってゆく気持ちと会が発展していく所以が理解できました。

 あけぼの会の目的について、患者の会の使命にこう書かれてあります。
『私たちはわれとわが身を嘆き合う女たちの集まりではない。障害を乗り越えて、普通の人と何ら変わりなく生きてみせる根性のある女の集まりである。しかも、私たちが素晴らしく生きてみせることが、これからの後輩の乳癌患者の励みと希望の光ともなり、ひいては、偏見や無知のために手遅れになって命を落としてしまう人をなくすことにある。お乳を取れば片輪者になるなんて思っている人に、私たちが手術前と少しも変わらない魅力的な女性であることを見てもらわなければならない。乳がん患者にもう一度生きる力を取り戻し、再び翼をつけて社会に飛び立ってもらうために、あけぼの会はある。夢と希望に胸をふくらませて、ひとり立ちしていってもらうために』と。

 元気そうにみえていたYさんは抗がん剤と放射線治療により、次第に副作用に悩まされるようになっていました。
「お腹がきつくてスカートが穿けないの」、「お髪が抜けるのよ」などと、いつもの微笑みの奥に寂しさを忍ばせていました。見ると、初めて会った時のほっそりとしたイメージとは裏腹に、ひとまわりも大柄になり、特に腹部が膨張した体型になっていました。
母の闘病の体験から、抗がん剤の副作用の恐ろしさを知る私には、やるせない気持ちを抑えることができません。食事療法に切り替える勇気はないというYさんは「ま、ぼちぼちいくしかない」という言葉を最後にいつしか連絡が途絶えてしまいました。

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