Welcome Guest 
メインメニュー
サイト内検索
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録

子どもの声は騒音ですか?  相原智記

  • このフォーラムに新しいトピックを立てることはできません
  • このフォーラムではゲスト投稿が禁止されています
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015-8-6 1:15
m-hanami  モデレータ   投稿数: 373
子どもの声は騒音ですか?
          相原智記
子どもの声が騒音扱いにされていることを知り、驚いてしまった。
事は深刻で、保育園に対し脅迫行為や訴追があり、更には、司法の場で子供の声を騒音と認定するケースが出ている。子どもは法律や社会から護られる対象だと思っていたが、どうも様相が違うのだ。
子どもの声は細くて甲高いのが特徴だ。集団時の大きな話し声、歌声、笑い声、泣き声、叫び声は、実に賑やかだ。思わず「わっ、煩い」と思いながらも可笑しくなり、いたずら心で会話に耳をそばだてることがある。
「何を言っているのだろう」
他愛のなさにクスリと笑うのだが、気持ちがホッコリとする一瞬だ。子供たちが全力で意志の伝達をしているのだと理解すれば、私にはむしろ微笑ましい世界なのだ。
騒がしくて不快と感じさせ、ひとの心理に多大なる悪影響を与えるのが騒音の定義だ。 
その発生源の一つに子どもの声がある。
「子どもに何を求めているのだろうか」
「子どもの声 騒音規制から除外 都条例改正 来月施行」、記事タイトルだが、進歩的な国際都市東京で子供の声を騒音扱いにしていたことが驚きだった。東京都には、「現行環境確保条例第136条及び騒音に係わる規制基準(別表13)」という条例がある。「『何人も』、(中略)別表第13に掲げる規制基準(規制基準を定めていないものについては、人の健康又は生活環境に障害を及ぼすおそれのない程度)を超えるばい煙、粉じん、有毒ガス、汚水、騒音、振動又は悪臭の発生をさせてはならない」(『』は筆者)。この136条は、『何人(なんびと)条例』とも言われている。当初、「騒音」に子どもの声は想定されていなかったが、「何人」だから子供も含まれると主張する根拠になったための別称だと都環境対策課の方の説明だ。それが見直されたのだ。
子どもの声騒音に関する都道府県別の調査結果(Jタウンネット)がある。全国平均値は、「騒音だ」が58.8%、「騒音ではない」が41.2%で、「騒音だ」の比率が拡大している。東京の「騒音だ」は66%、「騒音ではない」が34%と、「騒音だ」が全国平均を上回る。だが、私は更に驚いたのだ。青森県の「騒音だ」が75%、「騒音ではない」が25%、隣の我が秋田県は、「騒音だ」が85.7%と驚くべき数値なのだ。東北の「騒音だ」率の高さに私は絶句した。東北人の寛容度と受忍度の低さなのだろうか。東京のように狭い区画に密集して暮らす都市部だけの問題ではなかったのだ。   
大阪府では「騒音だ」48%、「騒音ではない」が52%と接近する。近畿地方の調査結果が興味深い。奈良県は「騒音だ」16.3%、「騒音ではない」83.3%だ。和歌山県は「騒音だ」20%、滋賀県で「騒音だ」が41.7%、兵庫県「騒音だ」48.5%、京都「騒音だ」38.9%であり、「騒音だ」率が圧倒的に低い。寛容度・受忍度の高さだけが理由なのだろうか。この結果から調査機関は次の推測をする。東北と近畿に見られる大きな開きの理由として、東北の「静かさ」と近畿の街の「賑やかさ」の違いが影響しているのではないかと、都会と地方の違いを挙げている。 
東北は静かだから子供の声が際立ち、近畿は賑やかなので周囲の騒音と子供の声が同化し、さして気にならないのだろうという分析だ。都会と地方の違いだけなら、巨大都市東京の「騒音だ」の数値の高さは何を意味するのだろう。少子化や高齢化の理由も耳にする。環境が静寂になり、子どもの声が異質化し、受け入れられなくなっているのではないかという。静かな街か賑やかな街かで子供の声の伝わり方が違うのではないかという仮説に通ずるものがある。調査結果からは具体的な背景や解決策は見えない。見えるのは、子どもが大人社会の生活様式に組み込まれ、のびやかに過ごすべき環境が攻撃対象になっているという残酷な現実だけだ。
「子どもの世界を抑制していいのかな」
静穏で健康的な生活は誰もが求めるものであり、保護されて当然である。しかし、子どもの成長を抑制してまでの静穏権要求には、例え司法が「子どもの声は騒音だ」と認定しても疑問がある。子どもの声はデシベルの数値で規制するものではないと思う。園では批判を受けて、住宅に面する側に窓を付けないとか、敷地に高い防音壁を設置するとか、住民との融和を図っている。ただ、報道で見た限りだが、園の雰囲気が閉鎖的で圧迫感のある不健全なものにしか映らなかった。そんな場所に園児を置き、近隣住民が健やかな日々を過ごす構図は異様でしかない。
注目したブログがある。ドイツでの問題を取り上げ、ハンブルグとベルリンのケースに言及しているものだ。ドイツでも同じような問題が起きていたのかと驚いたが、くすぶる私の疑問を一挙に解決してくれたのだ。
 ハンブルグでは2007年頃から問題が顕著になったようだ。定員60名の幼稚園が住居区にあることを理由に裁判所が閉鎖命令を出している。「規模縮小・防音壁」という妥協案を出したものの幼稚園側が敗訴。しかし、それで終わらなかった。「子どもの声は騒音だ」とする判決そのものに批判が高まり、子どもが発生源の音は騒音として扱わない条例に修正されたのだ。条例の修正も然ることながら、「騒音ではない」と主張する市民が声を上げ、司法に抗ったことに私は注目したい。 
司法がいつも正しいとは限らない。それを証明したのが条例の修正であり、そしてベルリン市に繋がった。同市では商業・住居地に園があったために「目的外使用」として裁判所が移転命令を出している。子どもの声を騒音だとする声はベルリンでも高まり、対応に迫られていた。2010年、州新法で「子どもの声」を保護する法的措置がなされ、法的に保護されることになった。事態は更に進展した。このような法的措置は、ドイツ全体で行われるべきだという議論が広がり、それが改正法に繋がり、静穏権を求める住民訴訟の道を封じた。結論に至る論点の素晴らしさには感動すら覚える。引用しよう。
「音を立てずして子どもたちが健康に育つはずがない。遊び場だろうと、家だろうと幼稚園だろうと、子どもの騒音は子どもの心身の育成に属するものだ。子どもの有する成長の権利に貢献したいのなら、近隣住民は、耳障りでも子供による音は基本的に容認しなければならない。子どももまた、自分の周りの許しによって存在していることを学ばねばならない」
 格調あるこの論調は、ドイツ連邦議会の政治判断に決定的な影響を与えることになった。
「子どもの声騒音の問題は、連邦政府全体のテーマとして扱うべきだ。権利が各州で別れている状況を許せば子どもに優しい、あるいは優しくない州に連邦を二分することになる」
子どもの生長を助ける社会的役割と護る寛容さを説き、連邦政府全体への法制定に繋げたことは、ドイツ人の英知の結晶と言える。 
東京都は小学校就学前の子どもと、同行する親や保育士たちの声、保育所や幼稚園、児童館、公園などで発する声や足音、遊具、楽器などを「騒音」から除外することにした。 
園は今後、催し物に近隣住民を招待するとか、園内生活を参観してもらうとかの企画を立て、地域との交流を図ることは決してマイナスではない。ただ、全国レベルでは「騒音」とみなす傾向が根強く、問題は複雑だ。 

遠い過去、私たちには他人に対する優しさや労わりがあった。子どもたちへの受忍と寛容さもあり、地域ぐるみで子どもを見守る役割を暗黙の裡に共有していた。街の規模や少子高齢化などの社会事象で子供らしさが抑圧されては、日本の明日が心配になる。

推奨数:1 平均点:0.00

  条件検索へ


XOOPS Cube PROJECT