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無知の為せる業 相原 智記

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015-9-14 0:39 | 最終変更
m-hanami  モデレータ   投稿数: 373
無知の為せる業
          相原 智記

「なんだ、出来たじゃないか」
他愛も無いことに喜ぶことが多々ある。
物事に疎く面倒臭がりなのに、何にでも興味を持ち、首を突っ込んでは、簡単なことに四苦八苦して「出来た」と喜ぶのだ。
SNSもその一つだ。目的など何もないのだが、話題になったとき気になって仕方がないのだった。私の「首突込み癖」である。
SNSは今日、日常に欠かせないほど多くの人が利用し、生活にすっかり根差している。
「どうして日本人はこんなに利用するの?」 
ツイッター社の社員が言うそうだが、世界的に見ても日本での利用者の多さは「異常」で、今後は開発拠点を日本に置くというほど盛んなことを表している。
 ツイッターは「つぶやき」とか「ささやき」と訳され、響きの良さに惹かれて案の定すぐ登録をしたのが三年前。勿論Mixiとfecebook、にもちゃんと登録をしている。活用しているかと言うと、それはなくほとんど放置状態だ。 
面倒なのだ。そうなることは分かっていた。SNSに消極的な理由は他にもある。ことツイッターに関しては、投稿文を140字内に制限することへの抵抗感と、機能がまるで分からないことだ。また、噂に聞くネトウヨ系の誹謗中傷に巻き込まれたくないという気持ちやネット社会内の「繋がり」に懐疑的であることもある。それにも関わらず再挑戦をしたのは、「イスラム国」事件がきっかけだ。 
日本人人質の生命の行方、日本政府の対応、そして「自己責任」論などについてネット社会ではどのように展開されているのかを知りたかった。そのため、今回はなんとか操作を成功させたいと思い、アクセスをしたのだ。 
アクセスだけは出来る。だが、やはりその先にどうしても進めない。
「前回も同じだったなぁ」
ぼんやり投稿文を読んだ。おびただしい数がある。140文字内に収め思想や感情が表現されている。読んでいると投稿文の書き方が分かってくる。サプリメントみたいなもので、エキスを凝縮させればいいのだ。フリージャーナリストGさん絡みの話題で沸騰している。当然、政治色が濃く、ツイッター社会の「世論」が形成されている。それにしても時事問題をしっかりと捉え、堂々と主張を述べていることは、政治意識の高さや感覚の鋭さを表しており、保守・革新問わず一目を置いてしまう。メディアにも登場し、著書もある人物たちの投稿もある。さすが表現が上手く、説得力に富み、共感を呼ぶものがある。 
私の中で大胆にも「発言者」「表現者」になろうとざわめき出すものがある。しかし、そんな高度な論争の中に、知識が乏しく政治的でもない私が立ち入る隙間などありそうもなく、距離を置いてしまう。
「政治オンチの自分が入る場所ではないな」
 尻込みをする一方で、使い方を理解しないまま画面を閉じるのが癪で、しばらくパソコンを眺め続けていた。
数年前、チュニジアで起きたジャスミン改革を思い起こした。事の発端は2010年12月、ある失業中の大学生が生活の糧を得るために青空市場で農産物を無免許で売ったことだった。これを警察に咎められ、公衆の面前で笑い者にされた。大学生はそれを苦に焼身自殺を図った。チュニジアは高等教育を受けた若者が多く、Facebookの普及率が高いという。彼らは殆ど自然発生的にSNSを通じてデモを組織し、大掛かりな政治運動に発展させ、政府の転覆に繋がった。アラブ世界で草の根的なデモが政府を転覆した最初の事例だと言われ、エジプトや中国にも広がった。
ネットは顔が見えない、肉声が伝わらないというもどかしさや不安が私にはある。だが、良きにつけ悪しきにつけ、SNSは利用の仕方で意見や意思を社会に拡散し、大きな運動を起こせる侮れない手段であることは、ジャスミン改革が証明している。
関心を持つ投稿に支持や賛同を寄せたいのだが、機能が意味不明で身動きが取れない。 
しばらくして、「返信」ボタンを使って送信してみようと思い立った。短く上手に趣旨を伝える文章作成の勉強になると思えば、積極的にもなる。自分の視点や表現が受け入れられるものなのか試してみたい気持ちもあった。言葉を削り、表現を換える作業を何度も繰り返し、140字数に収めた。 
「出来た!」
 長文癖のある私には、140字で文章を完成させたことの方が、何よりも嬉しかった。
「よし、これでいい」
二、三の投稿者に返信をした。疲れがどっと押し寄せ、後は野となれ山となれの心境だ。
「どうせ無視されるだろうし、こんなに苦労してやるものでもないな」

翌朝、ツイッターのことはすっかり忘れていた。いつものようにメールチェックを始めた。受信メッセージ一覧を見て驚いた。ツイッターからの返信10数通が連なっているではないか。不安が真っ先によぎった。
「ワッ、早速の集中攻撃だ!」
私にはSNS=ネトウヨ=誹謗中傷という激しい思い込みの構図が出来上がっていた。
「やはり投稿すべきではなかった。でも、賛同や支持のどこがいけなかったのだろう」
軽い気持ちで返信をした稚拙さが恨めしく思えて、開く気にならない。以下が件名だ。
*〇〇さんがあなたのツイートをリツイートしました。
*〇〇さんからのツイートがあります。
*〇〇さんから返信があります。
*あなたのツイートがお気に入りに登録されました。
「PCが爆発する訳じゃないし、開いたらいいじゃないか!」
投げやりな気分になっていた。何がツイートで、どんなのがツイートなのか意味がよく分からないことが不安を強めていた。
「ツイッターはこれを最後にしよう」
件名をクリックした。私が送った返信文がそっくり目に入った。コメントは何もない。
「突き返された!」
私の思考はどこまでもネガティブだ。心配していた暴言や罵倒や批判がないことが唯一の救いだった。全部開いた。すべて同じパターンだ。漠然と分かってきた。どうやら、私の返信内容を相手が受け入れ、仲間に拡散したり、お気に入りに登録したり、リツイートをしたりのようだ。よく見ると「〇〇さん他△人へ返信」という文言がある。私の返信を受信者が自分の投稿仲間△人へ拡散し、それを受けた相手が次から次へと送信したということなのだろう。少し安心した。ただ、投稿文をそのまま拡散する手法には疑問を持った。 
なぜなら、連続投稿という方法はあるが、140字に意図がどこまで表現できて、どのように受け取られるものなのかという不安があることと、事象によっては刻一刻と変化するので、事象と投稿・返信(リツイート)内容にタイム・ラグが生じ、そのために曲解され、不毛の論争に発展する可能性も考えられるからだ。また、相手の実像が分からないと「何か」に、「誰か」に成り済ますことも可能であり、事件に発展することだってある。利用の仕方次第なのだが、やはり面倒臭さが先に立ってしまうのだ。
「つぶやき・ささやき」の言葉の響きから受ける軽やかな印象とは裏腹に、私にはツイッターが「うめき」にも似たものに思えた。

SNSが社会に大きな影響を与えるものであることを体験できたのは、無知の為せる業であった。だがしかし、顔を見て、声を聞いて、感情や意志を確認し合える、対面方式の接触が自分には合っていると思いながら、ツイッター画面を閉じたのだった。
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