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戦後を生きた人人の心延え  宗像 善樹

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016-7-30 14:45 | 最終変更
m-hanami  モデレータ   投稿数: 373
戦後を生きた人人の心延(ば)え

              宗像 善樹

 昭和30年(1955)、私が地元の中学校に通っていた頃、まだまだ貧しい時代だった。食べる物は十分になく、育ち盛りの私たちはいつも腹を空かしていた。
 中学校の隣に養鶏場があった。
 あるとき、父親が戦死して帰国せず、病弱の母一人、子一人の家庭の同級生が養鶏場に入り込み、産み立ての
卵をいくつか食べた。その場に、卵の殻を残した。
養鶏場のおじさんが目立たぬように職員室を訪れ、申し訳なさそうな顔で、遠慮がちに学校に申し出た。
後々考えてみると、担任の先生には、どの生徒が食べたのか見当がついていたのだと思う。
 しかし先生は、「これは、人の物をとるのと同じことだ。君たちの心構えのことだ」と言って、クラスの男子生徒全員を廊下に横一列に並ばせた。
 先生は、女子生徒に向かって、「あなたたちも、見ておきなさい」と言って、廊下の反対側に立たせた。
 そして、男子生徒に「歯を食いしばりなさい」と言ってから、涙を流しながら、往復ビンタを皆に公平に加えた。私も食らった。先生の手加減を加えたビンタだったが、それでも、身体がぐらつくほどのビンタだった。
 先生が、泣き顔で言った。
「ひもじいのは、よくわかる。わるいのは君たちではない。悪いのは、私たち大人だ。
だが、これからの日本の国は、君たちの双肩にかかっている。苦しいだろうが、絶対に間違わないで欲しい。正しく、立派な人間に育って欲しい。そして、男子も女子も、これからの日本の復興ために一生懸命勉強し、社会に出て頑張って欲しい。日本を豊かで、幸せな国にして欲しい。悔しいが、先生たちには、それができなかった」
 女子生徒は全員、口をきつく結び、手を固く握りしめて、この光景を見ていた。
 次の時間は校庭での体育の時間だった。卵を食べた級友が、ズックを脱いで裸足になり、頭を地面に擦りつけて、泣きながらクラスの全員に謝った。
「僕がやった。僕がやった」
 でも、クラスの誰ひとり、彼を非難することはしなかった。
誰かが、赤くなった頬をさすりながら言った。
「気にするなよ。仲間だろう」
 女子生徒が、彼を囲み、声を合わせて慰めた。
「私たちはお友だちでしょう。だから、泣かないで」
 翌朝早々、クラスの母親が申し合わせたように職員室に集まり、先生を囲んで、事を穏便に済ませるための相談をした。どの親も、自分の子供が先生にビンタを食ったことを理不尽だとは言わなかった。
むしろ、生徒を名指ししなかった先生の配慮に感謝した。
 戦後の昭和世代の教師と生徒、生徒同士、父兄同士の関係と絆は、こういうものだった。あの時代の人人には、凛とした強い連帯感と優しい惻隠の心があった。
 いつもはやさしく、時には厳しく生徒を導いてくださった東京外国語大学出身の特攻隊帰りの若い先生だった。
授業の合間に、鹿児島の空港で帽子を振って見送った戦友への想いをしんみり語ってくれた先生だった。
大の読書好きで、授業中に夏目漱石や芥川龍之介などの作品を私たちに読み聞かせてくれた先生だった。
                                  
この思い出には、続きがある。
あのとき、私はまったく知らなかったが、実は、先生は、空港から飛行機に搭乗して特攻に出撃したものの、途中でエンジン・トラブルが起きて、意に反して基地に引き返えさざるを得なくなった。敵艦を見つける前に、無為に飛行機を海に墜落させることはできなかったのだ。他の戦友は全機突入し、先生は生き残り、辛い思いで終戦を迎えた。
突入できずに基地に戻ったとき、先生は、上官から理不尽な仕打ちをいろいろ受けたということだった。
私は、この事実を、大学に入学してから初めて母親から聞かされた。
中学卒業後、何度か先生を交えて同窓会を行ったが、先生は、そのことについては何も話されなかった。
私が会社員になった後も、年賀状の交換は毎年続いた。
先生が老齢に入られたある年の賀状に、次の文章と句が記されていた。
「謹賀新年。ますますご活躍のことでしょう。心から貴君の発展を祈っています。
 長かりし夢より覚めて同胞(はらから)のもとへ飛び立つ今日のうれしさ」
 先生の辞世の句だった。 
年賀状の最期に書いてあった。
「戦争は、二度と繰り返してはいけない」
その年の桜が終わる頃、先生は、戦友が待つところへ、空高く旅立たれた。
                              
私は、先生の期待に応えようとモノづくりの会社に入社し、日本の製造業発展のために身を粉にして働いた。
会社を定年退職し、古希も過ぎた今、夜ベランダに出て満天の星に目を凝らすと、60年前の、厳しくも優しかった先生の涙目と笑い顔、元気はつらつとしていた同級生の顔、生活に追われていた中で懸命に守り育ててくれた、穏やかな母の笑顔を、しみじみと、感謝の気持ちで思い出す。合掌
推奨数:79 平均点:9.87

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