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童話 マリちゃん雲に乗る   宗像善樹

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016-8-6 14:48 | 最終変更
m-hanami  モデレータ   投稿数: 373
 童話

   マリちゃん雲に乗る
                      宗像善樹

今から4年まえ、東日本大震災があった年の、夏の初めのある晴れた朝のことでした。
 犬のマリちゃんは、真っ青に澄みきった空に浮いている雲の上から、地上のパパとママに向かって、一生懸命に声をかけました。
「ワンワン、ワンワン。パパとママ、わたしは雲の上でがんばっていますよ」
 マリちゃんは、空に浮かぶ天の川のほとりで、3月11日の大震災のために崩れた家の下敷きになって命を落としたり、津波に流されて溺れ死んだ東北地方の動物の仲間の救援活動を必死にやっています。
マリちゃんは、そのことを地上のパパとママに知らせようとしたのです。

 マリちゃんが雲の上にきたのは、その年の春の日の夜、パパとママと一緒に住んでいたマンションの部屋で急に心臓発作を起こして、パパとママ、長女の利絵ちゃん、次女の華ちゃんが涙を流して見守るなか、家族四人と「さようなら」をして、空の上に昇ってきたのです。
空の上にやってきたとき、マリちゃんは、そのまま天の川に浮いている雲の船に乗って、天の川の向こう岸にある天国へ行くつもりでした。
そこは、人間と動物が一緒に暮らせる楽しい、幸せな楽園なのです。
 でも、マリちゃんが天の川の岸辺に着いて、雲の船に乗り込んだとき、マリちゃんのまわりには、車に跳ねられたり、人間に虐められて怪我をしたりして体を自由に動かせない、気の毒な犬や猫やそのほかのペットたちがたくさんいました。
長い間盲導犬の仕事をして、いろいろと気を遣い、疲れ果てて動けなくなった老犬もいました。
みんな、誰かに肩を貸してもらわないと、自分の力だけでは雲の船に乗り込むことが
できないのです。みんな、悲しそうな目をして、岸辺にうずくまっていました。
 彼らの目を見たマリちゃんは、とっさに思いました。
「もし、パパやママがあの仲間たちの目を見たらどう思うだろう。必ず、『助けてあげなさい』と云うに違いない」
 マリちゃんはすぐに、自分を犠牲にしてでも気の毒な動物たちを助けて雲の船に乗せて、幸せな天国へ行けることができるようにしてあげようと決心しました。
そして、いったん乗った雲の船から下りて、天の川の河原に戻りました。
 でも、マリちゃんは小さな犬の女の子です。自分より体の大きい秋田犬や柴犬や馬や牛に肩をかすことはできません。
 そこでマリちゃんは、河原にいた二人のお星さまに声をかけました。
「お星さま、お願いです。わたしと一緒にあの子たちを助けて、天の川の向こうの天国へ行けるようにしてくれませんか」
 二人の星は声を合わせて、すぐに答えてくれました。
「いいわよ、マリちゃん。ぜひ、私たちにも協力させて」
 二人の星は、河原を散歩していた織姫さんと彦星さんでした。
 こうして、マリちゃんは、地上のマンションから旅立ってからずっと、織姫さんと彦星さんと力を合わせて、傷ついた仲間たちを雲の船に乗せてあげ、天の川を渡って、虹の彼方にある天国へ導いてあげてきました。

 マリちゃんが雲の上で、仲間の救援活動をするようになった経緯は次の通りです。
 マリちゃんが天の川の河原に来てから7ヶ月経った後のことでした。
2011年3月12日の朝、地上にいたときに顔なじみだったメダカが、突然、天の川の川面から顔を出してマリちゃんに声をかけてきました。
メダカは、マリちゃんが住んでいたパパとママのマンションの部屋の水槽の中で泳ぎ回っていたメダカたちでした。
「マリちゃん、マリちゃん。大変だよ。昨日、パパとママが住んでいるマンションが大きな地震に襲われて、部屋が大揺れに揺れて、部屋中めちゃめちゃになってしまったよ。箪笥や本箱がぜんぶ倒れて壊れてしまった。食器棚も倒れて、食器やガラスのコップなどが全部床の上に放り出されて割れてしまったよ。ピアノも傾いてしまった。
部屋に敷いてあった絨毯の上は、粉々に砕けたガラスの破片だらけだよ。パパとママ
は無事だったけど、素足で歩くと危険だから、二人とも部屋の中をスニーカーで歩いているよ。
 利絵ちゃんと華ちゃんは勤務先の会社にいて、とても恐い思いをしたけど、どうにか無事だったよ」
 そうしてメダカたちは、自分たちが天の川にきた事情をマリちゃんに説明しました。
「地震で水槽が倒れて割れてしまい、水がぜんぶ外に流れ出てしまった。だから、安全な、お空の天の川に避難してきたというわけだよ」
 マリちゃんは、メダカの話を聞いて気がつきました。
「そういえば、昨日のお昼ごろ、地上から大きな振動と音が天の上まで響いてきたわ。
わたしは、傷ついた仲間を雲の船に乗せてあげる手伝いをしていたので、ちっとも気がつかなかった」
 マリちゃんは慌てて地上の浦和のマンションを注意深く見下ろしました。
マリちゃんの目に、マンションの部屋の中でママが軍手をして粉々に割れてしまった食器やカラスのコップなどを大きな段ボール箱に詰めている姿が見えました。段ボール箱は14個もありました。
パパは、細かなガラスの破片が食い込んでしまった絨毯をハサミで切って、丸くまるめて紐で縛っていました。
この絨毯は、パパとママがトルコへ海外旅行したときに買ってきた、二人が大切にしていた思い出の絨毯でした。
二人の顔はしょげかえっていました。
ママの弱々しい声が聞こえてきました。
「マリちゃんが生きていたら、タンスの下敷きになって、大変なことになっていたわね」
 パパが、言いました。
「マリちゃんに怖い思いをさせずに、本当によかった」
 マリちゃんは、大震災に遭って部屋の中が壊滅状態になってしまっても、まず、マリちゃんのことを心配してくれるパパとママの優しさに涙が出てきました。
「かわいそうなパパとママ。老後の住み家だといって、部屋の中をいつも綺麗にして、大切にしていたのに」
 天の川のメダカがマリちゃんに向かって言いました。
「早く虹の彼方の天国へ行って、パパとママを安心させなさい。天国にはマリちゃんのお友だちがたくさん待っているよ」
 天の川の向こう岸から、マリちゃんが元気だった頃、ご近所のお友だちだった犬の佐助やシェーン、ミッキーたちの懐かしい声が聞こえてきます。
千葉県の御宿海岸で一緒に砂浜を競争して遊んだマルチーズの女の子ラブちゃんやシーズーの男の子キャッチャーの声も聞こえてきます。
車にはねられた猫の北島ふうちゃんの声も聞こえます。
 パパのお母さんが娘時代に、女学校の帰り道で拾って育てた愛犬で、昭和の初めに死んだべスという柴犬の鳴き声も耳に届きます。
「マリちゃん、早くこっちへ来なさい。おばあちゃんがマリちゃんに会えるのを楽しみに待っているよ」
マリちゃんはまだ、おばあちゃんともベスとも会ったことはありません。地上にいたときに、パパから二人の話を聞いたことがあるだけです。

 マリちゃんの周りには、東北地方から天に昇って来たたくさんの動物たちがひっそりと身を寄せ合って、雲の船に乗る順番を一列に並んで待っています。
 東北地方から来た動物たちは、大震災でがれきの下敷きになったり、大津波にさらわれたりして死んでしまった犬や猫たちです。馬や牛、鶏、地上に出て羽化できなかった蝉の幼虫などもいます。
 天の川の向こう岸から、震災で亡くなった飼い主だったおじいさんやおばあさん、お父さん、お母さん、子どもたちの声が聞こえてきます。
「おどっつぁとおかーは、こっちにいるよ」
「じいちゃんもばあちゃんも、こっちにいるよ」
「さっさど、こっちにおいで。美味しい食べ物がいっぱいあるよ。みんな待っているよ」

 マリちゃんは、織り姫さん、彦星さん、そして、たくさんの星たちと力を合わせて、東北の仲間たちを一生懸命に雲の船に乗せる活動をしてきました。
 でも、マリちゃんは、天の川の河原に来たときから今日まで一年半以上も働きどおしで、クタクタに疲れています。
 相変わらず、お友だちがマリちゃんの健康を心配して、大きな声でいっせいに呼んでくれます。
「マリちゃん、早くこっちへおいでよ。ワンワン、ニャア、ニャア」
 マリちゃんも、内心はそう思っています。
「わたしも早く行って、みんなとゆっくり遊びたい」
天の川の向こうから、マリちゃんをいじめた野良ネコ親分の茶寅(ちゃとら)ボスの太いダミ声が聞こえてきました。
「マリちゃん。あのときは、マリちゃんをいじめてごめんね。早くこっちへ来て、みんなで一緒に遊ぼうよ」
マリちゃんは、嬉しくなりました。
「茶寅ボスは、改心して天国へ行けたのだ」
ほんとうに良かったと、マリちゃんは思いました。
 
 真っ白な雲海の上が茜色に染まりだしました。いよいよお天道さまが顔を出されます。
まわりの雲も真っ赤に染まり、天上が朝焼けになりました。マリちゃんの白い毛も、赤く染まりました。
しだいに、茜色が薄まり、天空が鮮やかな青色に移ろいました。雲海が、真っ白なうねりに戻りました。
河原に顔を出されたお天道さまがマリちゃんに、やさしく声をかけてくださいました。
「マリちゃん、おはよう。まだ、ここでみんなを助けてあげているのだね。マリちゃんは心臓が弱いから、早くしないと、天の川を渡れなくなってしまうね。それに、仲間の動物たちがだんだん少なくなると、マリちゃんも、寂しい思いをするだろうに。そろそろマリちゃんも雲の船に乗って、天の川の向こう岸の天国へ行きなさい」
 マリちゃんは、かるく首を振って答えました。
「いえ、大丈夫です。わたしは、みんなの後から天国へいきます。浦和にいたとき、パパとママが、『最後まで頑張る』ということを、わたしに教えてくれました」
 お天道さまが、微笑んで言いました。
「その通りだね。パパとママは、マリちゃんにいろいろ教えてくれたね。そして、たくさん、たくさん可愛がってくれたね。パパとママの教えは大切に守らなければいけないね」
 マリちゃんは、お礼を言いました。
「お天道さま、ありがとうございます。わたしは、ひとりでも大丈夫です。寂しくありません。織姫さんと彦星さん、それに、たくさんのお星さまがわたしを助けてくれます」
 織姫と彦星が、やさしくうなずきました。
「癒しのマリちゃん、あなたなら頑張れるわ」
 周りにいる星たちも、声をそろえてマリちゃんに言いました。
「大丈夫よ、マリちゃん。私たちもたくさんいるのだから。寂しい思いはさせないわ」
 お天道さまは、愛おしそうにマリちゃんを抱きしめ、やさしく雲の上に座らせてくださいました。そして、雲の間から顔を出されました。地上に朝が訪れたのです。
 マリちゃんが雲の隙間から地上を眺め下ろすと、パパがベランダに出て、地震で割れた植木鉢を片づけている姿が見えました。ママが洗濯物を干している姿も見えました。
 マリちゃんは、一緒に見ていた星たちに言いました。
「私が浦和の家にいたときは、わたしもパパやママと一緒に、ベランダで楽しく遊んだのよ」
 一晩の疲れを取ろうとする星たちが、マリちゃんに言いました。
「私たちは、マリちゃんが夜ぐっすりとママのベッドの上で寝ている姿を見たことはあるけど、お天道さまが昇られた後の、明るい世界のマリちゃんの姿を見たことはないの」
 星たちが、マリちゃんの気を紛らわしてあげようと、マリちゃんに頼みました。
「マリちゃんが浦和にいたときの、マリちゃんの家族の話をしてくれないかしら」
 マリちゃんが、答えました。
「はい、わかりました。でも、わたしの話より東北から来た仲間たちに話をさせてあげてください。家族との思い出を話したいはずです。だから、あの子たちにお願いしてみてください」
 星たちが頷いて言いました。
「そうね、マリちゃんの云うとおりね。最初に、あの子たちの話を聞きましょう」
 そして、近くに伏せていた『リリー』という名の雑種の女の子に声をかけました。
「リリー、あなたの家族の話をみんなにしてくれないかしら」
 しばらく下を向いていたリリーは、顔を上げると、悲しそうな顔で話しだしました。
「私が住んでいた家は、福島県の双葉町という町にあって、年取ったお父さんとお母さんが二人で力を合わせて小さなお店をやっていました。お父さんとお母さんの間には子どもがいなかったので、子犬のときからわたしを実の子供のように可愛がってくれました。
 八歳のわたしは、お店の看板犬でした。お店の隅の石油ストーブの前に寝そべって、しっぽを振ってお客様をお迎えするのがわたしの仕事でした。
お父さんがお店を改装したばかりでした。『これからも、頑張って仕事をするぞ』とお父さんが嬉しそうに云いました。お母さんも、にこにこ笑っていました。私も一生懸命に看板犬を続けようと思い、ワンワンと答えました」
 リリーの顔が、急に哀しそうな表情になりました。
「三月十一日に、お父さんがお店を開いて間もなく、大きな地震がやってきて、二階建ての家が激しく揺すられました。大きな揺れが何度も繰りかえされ、屋根の瓦が落ち、お店の商品が全部床に落ちて割れてしまいました。ドーンという恐ろしい地響きが聞こえてきました。お父さんとお母さんが、急いで私を抱きかかえて、近くの駐車場へ避難しました。30メートル離れたお隣の家の屋根瓦がぜんぶ落ちて、もうもうとした土煙が上がっていました。恐ろしくて、その後の記憶はまったくありません。ただ、その日は、車の中で夜を明かしたこと、お父さんが車の暖房を入れて、私の体を温めてくれたことだけを憶えています」
 リリーの表情が、厳しくなりました。
「翌朝、役場から放送が流れてきました。『全ての町民は直ちに避難してください』
お父さんとお母さんがびっくりして、声を合わせて云いました。
『原発は安全、安心ではなかったのか』
 二人は、緊張した顔で避難の準備を始めました。
初め、二人は、私を連れてマイカーで逃げるつもりでした。
ところが、車のエンジンをかけたお父さんが、焦って叫びました。
『まずい。ガソリンが少なくなっている。ひと晩中エンジンをかけていたので、残りがなくなった。このまま車を走らせると、途中でガス欠になる。道路に車を放置することはできない。交通のじゃまになる。町が準備しているバスに乗って避難しよう』
 お母さんが泣き顔になって、叫びました。
『バスにはリリーを乗せてもらえない。リリーをどうするの』
 お父さんが、お母さんの不安を打ち消すように説得しました。
『大丈夫だよ。どうせ、二、三日で戻れるはずだから。それに、リリーはしっかり者だから心配ない』
そのときのお父さんは、地震の避難だからすぐに家に帰れると思っているようでした。 お父さんが、車の床に三日分のごはんと飲み水を置いて、わたしに言いました。
『二日間、この車の中で待っているのだよ。必ず、戻ってくるからね』
 そして、車の後部座席のドアを、わたしの体が出入りできるくらいに開け放して、大きな石をドアのところに置いて、ドアが風などで閉まらないようにしました」
 話をしているリリーの目から、涙がこぼれだしました。
「お母さんが泣きながら、『ごめんね、ごめんね』と云って、私の体を強く抱きしめました。
 お父さんも、泣きそうな表情で、『雨や雪が降ってきたら、この車の奥にいるのだよ』と云って、私の頭を何度もなんども撫でました。
 二人はわたしの方を振り返り、振り返り、集合場所へ向かって行きました。
 見送ったわたしは、避難は少しの間で、二、三日すれば、またお父さんとお母さんに会えるものだと信じていました。まさか、永遠に会えなくなるなんて、思ってもいませんでした」
 リリーが、泣きながら言いました。
「結局、二人は戻ってくることができませんでした。わたしは、お父さんとお母さんの匂いが残っている車のシートにじっとうずくまって、いつまでも、いつまでも、二人の帰りを待ち続けました。
 そのうち、食べるものも水もなくなってしまいました。水を探しに車の外に出てみたら、カラスが死んだ仲間の体を突いているのが見えました。怖くて急いで車の中に隠れました。
 それからは、ずっと車の中にうずくまり、お父さんとお母さんが帰ってくるのを待ちました。そのうち、だんだん体が痩せてきて、喉がカラカラに渇いて、目の前が真っ暗になってきました。
でも、お父さんの言いつけを守って、車の中で両親の帰りを待とうと思いました。
そして、最期になって、ここへ昇って来て、天の川の河原に着いたのです」
リリーが、マリちゃんや仲間のみんなを見つめて言いました。
「避難してから約1ヶ月後、わたしのことが心配だったお父さんとお母さんが、避難先の埼玉県加須市の高校の体育館からこっそりわたしの様子を見に帰ってきました。そこで、車の中に横たわっている痩せこけたわたしの死体を見つけました。二人は、冷たいわたしにしがみついて、半狂乱になりました。
 お父さんは、『俺が悪かった。俺が悪かった。無理してでも、バスに乗せて一緒に連れて行くべきだった』と、号泣しました。
 お母さんは、地面にぺたりと腰を落とし、頭を車近くの地面にこすりつけ、『リリー、ごめんね。リリー、ごめんね』と、わたしを抱きしめて泣きました。
 リリーが、声をあげて泣きました。
「雲の隙間から、つらい避難所生活に耐えているお父さんとお母さんの姿を見たわたしは、哀しくて、哀しくて、涙がとまりませんでした」
 リリーの悲痛な声を聞いた東北の動物たちが、いっせいに声をあげて泣きだしました。みんなそれぞれ、優しかった自分たちの家族との楽しかった生活を思い出して、泣きました。泣き声は、いつまでもやみません。

 つぎに、柴犬の二歳の男の子が、泣きじゃくりながら話しだしました。
「僕は、おばあちゃんと一緒に公園を散歩していたら、とつぜん大津波に襲われたの。
後ろから迫ってくる津波に気がついたのだけど、おばあちゃんは足が不自由だったから早く走れなかった。僕は必死におばあちゃんを引っぱって走ったけど、おばあちゃんは途中で走れなくなって、しゃがみ込んでしまった。僕は慌てて引っ返して、おばあちゃんの胸に飛び込んで、おばあちゃんを守ろうとした。だけど、津波の勢いが凄くてそのまま二人とも海の中に巻き込まれてしまった。おばあちゃんが僕を抱きしめながら流されていたら、津波にのみ込まれた家の屋根にしがみついていた若い男の人が、必死の形相でおばあちゃんに手をさしのべてくれた。でも、おばあちゃんが両手を出してしまうと、僕を手離すことになってしまう。おばあちゃんは手を出さずに、ごうごうと荒れ狂う津波に押し流されながら、そのまま両手でぼくをしっかり抱きしめていてくれました。最期に、おばあちゃんが苦しそうに海の水をたくさん飲みながら、僕に云いました。『小太郎、ふたりで一緒に天国へ行こうね』。おばあちゃんは、僕を孫のように大切にしてくれました。だから、早くおばあちゃんのところへ行きたい」
 小太郎の話を聞いた周りの星たちが、いっせいにおいおい泣きだしました。
マリちゃんも、自分の家族を思い出して泣きました。
 この様子を見ていた彦星さまが、涙声でマリちゃんに促しました。
「マリちゃん。今度は、マリちゃんが家族の思い出を話して、東北の仲間や星たちの気持ちを癒してあげたらどうだろう」
「はい、わかりました」
 マリちゃんは涙をぬぐって素直に返事をし、自分が赤ちゃんだったころを思い出しながら、14年7ヶ月の間、地上の家で過ごした家族との楽しかった日々を一つひとつ話し始めました。
 星たちは、涙で滲んだ目をキラキラ輝かせながら、悲しみや寂しさで泣きじゃくっている東北の動物たちを、マリちゃんの周りに集めました。
 星たちは、マリちゃんが地上にいたとき、夜に、クークー寝ているマリちゃんを見守っていただけで、昼間、元気に飛び跳ねているマリちゃんの姿を見たことはありませんでした。星たちも、マリちゃんの話に興味津々だったのです。

(1)マリちゃんの家族の紹介
 わたしの名は、宗像マリ。マルチーズの女の子。平成五年十月十四日生まれ。
生まれて3ヶ月のときに、パパとママの家へきました。
私の鼻の先は生まれつき白くて、普通のマルチーズのように黒くなかったのですが、わたしは、玉にキズと割りきっていました。でも、宗像の家へ来たときに、パパから露骨に言われました。
「鼻の先が白い血統書つきのマルチーズなんて、見たこともない。ペットショップの荒川屋にだまされたのじゃないのか」
 すかさず、長女の利絵ちゃんがパパに言い返してくれました。
「外形で判断するなんて、おかしいわよ。マリちゃんは、まだ、赤ちゃんなのよ。これから、どう変わるかわからないのよ。生まれてきたわが子の悪口を云う父親なんて、聞いたことがないわ。『かわいい』『かわいい』と頬ずりするのが、父親というものよ」
 いつもパパから叱られている華ちゃんも、このときとばかりに、口を出しました。
「そうだよ、お姉ちゃんの云うとおりだよ。マリちゃんは、生まれたばかりだよ。マリちゃんのことを、とやかく云うのはおかしいよ。大人のパパにだって、問題はたくさんあるんだから」
 最後に、ママが、やんわりとパパに止めを刺しました。
「マリちゃんは、ご縁があって、わが家の家族になったのよ。マリちゃんの実家のことを悪く云うものではないわ」
家族は、パパとママ、利絵ちゃんと華ちゃん、わたしを入れて五人。パパ以外はみんな女の人。利絵ちゃんは東京の私立の大学三年生、華ちゃんも東京の私立の中学二年生。
利絵ちゃんは、通学距離の関係で、ママの実家だった新宿のマンションに、一人で住んでいます。
 ときどきママが、わたしを連れて、利絵ちゃんの生活の様子や部屋の整理の状態を見にいきます。でも、利絵ちゃんは大学生生活を謳歌していて、ママと約束した時間までにマンションに帰ってきません。待ちぼうけを食わされたママが怒ると、利絵ちゃんは、のらりくらりと言い訳をします。
「急に友だちと会うことになった」「大学のサークル活動があった」「英会話の勉強に誘われた」「私にも、予定の優先順位がある」などなど。
 ママが、怒り心頭になって言いました。
「本当にあなたは、あれこれ言い訳ばかりするのだから」
 利絵ちゃんが、平然とした顔でママに言い返しました。
「ママ、なにを云っているの。時間と言い訳は作るものよ」
「……」
 こう言われたママは、口をポカンと開け、唖然とした表情で、利絵ちゃんの顔をまじまじと見つめました。
 わたしは、鳩が豆鉄砲を食ったような、あのときのママの顔が今でも目の前に懐かしく浮かんできます。

 華ちゃんのお部屋には、お天道さまの光がよく入ってきました。
だけど、華ちゃんの部屋にはいろいろなものが床にころがっていて、温かな恵みをくださるお天道さまに申し訳ない気がしていました。
いつもパパが、「ゴミを捨てて、部屋を片付けなさい」と、華ちゃんを叱りますが、華ちゃんは「親からみればただのゴミでも、子供からみれば大切な宝物だ」と言っていました。
 わたしも、華ちゃんの部屋にころがっているものは、みんな宝物だと思いました。華ちゃんの宝物をかじって遊ぶのが、わたしの一番の楽しみでした。でも、華ちゃんはぜんぜん怒りません。だからわたしは、華ちゃんの部屋にいるのが大好きでした。
 華ちゃんの学校がお休みのときは、いつも華ちゃんの部屋の中で二人で一緒に、ウダウダしていました。ママが、そんなわたしたちを見て、「ぐーたら部屋のふたり」と言ってよく笑いました。でもママやパパには、華ちゃんの部屋の居心地のよさが分からないのだと思いました。
華ちゃんがいつまでも部屋を整理しないと、パパが癇癪をおこして、床にころがっているものをゴミ袋に入れて代わりに整理してしまいます。華ちゃんは、だいじな宝物がなくなったのに、ぜんぜん気がつかないみたいでした。
だけど、わたしにはすぐに分かりました。華ちゃんがお友だちの順ちゃんから貰って大切にしていたミッキーの封筒や便せんが整理されたのに、そのことに気がつかないで、のんびりとマンガを読んでいたことがありました。
わたしは、「あれは華ちゃんの宝物ではなかったのかな」と首をひねったことがあります。

パパは51歳。会社の部長さん。若いころから、猛烈な企業戦士をやってきました。
毎晩、接待でお客さんと銀座や六本木を飲み歩き、帰宅はいつも午前2時、3時でした。マンションの下でタクシーのブレーキの音がすると、わたしだけが玄関でしっぽをふって、「お帰りなさい」をします。ママはとっくに白河夜船です。
パパが、いつも口にしていました。
「戦後日本の経済を復興させるのだ。それが、俺たちの役割だ」
 それは、今から約30年前、パパが中学校を卒業した日に、担任の先生から言われた言葉でした。
「これからは、君たちが日本の復興ために頑張ってくれ」
 担任の先生は、特攻隊帰りの若い先生だったそうです。
 わたしは、激しい競争社会の中で頑張って働いているパパの深夜の帰宅を、毎日、玄関のマットにうずくまって、いつまでも待ち続けました。

会社がお休みの日、パパとママは夕食のときお酒を飲みます。パパはビール一杯で顔が真っ赤になってしまう。ママはどんなにお酒を飲んでも顔の色が変わりません。
パパとママが外で市村さんのご夫婦たちと一緒にお酒を飲んだとき、パパが座を沸かせようと冗談を言って、「酒を飲むと、私は顔の色が変わりますが、家内は人柄が変わります」といって笑わせたらしい。
家に帰ってきて、ママが猛烈に怒りました。
「失礼ね。あなたとは、もう二度と一緒に外出しないから」
「ごめんなさい。もう二度と云いません」
パパは、赤い顔でひたすら謝っていました。
そのときわたしは、この家で一番偉いのはママだということが、実感としてよく分かりました。
それに、ママの自慢話によると、パパとママは知人の紹介で知り合い、パパがその場で一目惚れをして、その日のうちにプロポーズをしたということです。これも、ママに対するパパの弱みです。

パパは、お酒を飲むと大きな声でよく歌をうたいます。わたしの知らない昔の歌ばかりです。華ちゃんに聞いても、「ぜんぜん知らないし、聞いたこともない」と言っていました。
 パパは、歌い始める前に必ず、「股旅演歌だ」と叫んで、気合を入れます。
「しみぃーずぅー、みぃなとのぉー、めいいぶぅつぅわぁー」
パパが歌いだすと、華ちゃんは「ど演歌パパ」といって耳をふさぎます。わたしも自分のハウスに逃げ込み、頭から毛布をかぶって寝たふりをします。
ママが一人だけ、知らん顔をしてお酒を飲み続けます。
勘がいい利絵ちゃんは、そういう時は新宿のマンションから帰ってきません。
ある日、パパの外出中に、みんなで顔を寄せ合って相談したことがあります。
「家族迷惑だし、ご近所への恥さらしだから、パパのど演歌はぜったいに止めさせるべきだ」
 でも、わたしには、これが、猛烈社員をやっていたパパの、たまの休日の家庭での息抜きの方法だと分かっていたので、迷惑半分、同情半分の気持ちでいました。ママも、パパの憂さ晴らしをしたい気持ちを理解して、我慢してパパにつき合っていたのだと思います。

ときどき、利絵ちゃんが浦和に帰ってきます。わたしは利絵ちゃんが大好きでした。すらっとした感じの利絵ちゃんはとてもいい香りがするし、とても優しい。わたしが利絵ちゃんの膝の上でおしっこを漏らしたときも、利絵ちゃんはぜんぜん怒りませんでした。だから、利絵ちゃんが帰ってくると、わたしは、利絵ちゃんに一所懸命に愛嬌をふりまきました。
わたしはいつも、寝室のママのベッドの上で寝ていました。でも、利絵ちゃんがいると利絵ちゃんと一緒に寝ました。利絵ちゃんと寝ると楽しい夢をいっぱい見ました。利絵ちゃんも楽しそうに寝ていました。わたしは、寝ている利絵ちゃんの顔をぺろぺろなめるのが大好きでした。だから、わたしは、利絵ちゃんから「ぺろぺろマリちゃん」とあだ名を付けられました。
ママと利絵ちゃんはときどき、些細なことで口げんかをします。
「身だしなみをきちんとしなさい」「「靴下を脱ぎっぱなしにしないこと」「口の利き方がよくない」などなど。
 利絵ちゃんが、うんざりした表情で言い返します。
「うるさいわね。ほっといてよ」
 ママがさらに、がみがみ言い続けると、最後には、利絵ちゃんがキレて大声を出します。
「なによ!放っといて」
 そうなると利絵ちゃんは、いつもはやさしい『仏のお姉ちゃん』から、おそろしい顔つきの『放っとけ姉ちゃん』に大変身します。
そういうとき、わたしは、利絵ちゃんの膝の上から急いで降りて、なにげない風情で、だけど、内心は慌てて、自分のハウスに入って寝たふりをします。
これが、わたしが考え抜いてあみ出した、利絵ちゃんと上手にお付き合いするための生活の知恵でした。
こんなふうに、わたしにも、いろいろと気苦労がありました。

最後に、とても優しかったママのこと。
マリちゃんは、ママが大好きでした。だから、大切なママのお話を、いちばん最後までとっておいたのです。
ママはパパより六歳若い。長崎県の通称『軍艦島』という島で生まれました。石炭を掘る炭鉱の島でした。ママのお父さんがM鉱業という石炭を掘る会社の総務部に勤めていたので、ママは、転勤族の家庭で育ちました。北海道の大夕張炭鉱で子供時代を過ごしたことがあるようです。東京杉並区の社宅にも住んだこともあります。高校は北海道で過ごしました。大学は、埼玉県にある私立の大学です。
あるとき、パパがわたしに、こっそり教えてくれました。
「ママが大学生のときは陸上の短距離の選手で、よく日に焼けていたので『ボタ山小町』と呼ばれていたらしいよ」
 次の日、わたしは、利絵ちゃんに聞いてみました。
「ボタ山って、なんのこと」
 利絵ちゃんが、小声で教えてくれました。
「マリちゃん、それは、石炭を掘ったときに、石炭といっしょに出てくる燃えない黒い石(ボタ)を捨てた大きな山のことよ。でも、今のママは、ただの、『ボタ山おばさん』よ。だけど、この話は、ママには絶対に喋ってはだめよ。それに、間違っても、『メタボ小町』と云っては、絶対にだめよ。ママに、ひどい目にあわされるからね。若いころは、スタイルに自信を持っていた人なのだから」
 わたしは、隣の和室で、クラシック音楽を聞きながら、何も知らずに和裁をしている『メタボおばさん』の背中をじっと見つめました。
 ママも、わたしのことが大好きみたいです。いつも、わたしのことを「かわいい、かわいい」と叫んで、思い切り強く、ぎゅーっと抱きしめてくれます。息がとまるくらい強く。「もっとやさしく抱いて」と言おうとしたら、パパから、「がまんしろ。ママには逆らうな。長崎生まれのおばさんはこわいぞ」と止められました。
そういえば、長崎市桶屋町に住むママのおじさんの谷口勝さんが、長崎生まれの自分の奥さんのことを『うちの美子は、西太后のごたる』と言って、よく恐れ慄いていました。
あるときママから、「ママが死んだら、マリちゃんもママと一緒にお墓に入ろうね」なんて、とても恐ろしいことを言われました。
わたしは思わず横を向いて聞こえないふりをしたけれど、「ママなら本当にやりかねない」と思って、とても不安になりました。
急いで華ちゃんに相談したら、華ちゃんが真剣な顔で、わたしに忠告してくれました。
「マリちゃん、それだけは絶対に、今のうちに、はっきり断っておいた方がいいよ」
だけど、犬の私には、複雑なことを喋ることができません。
わたしは、心配で、心配で、その日は、のんびり昼寝をすることができませんでした。

(2)マリちゃんの躾
 わたしが宗像の家に来る前は、利絵ちゃんと華ちゃんが通学していた小学校の前にあった「荒川屋さん」というペットショップのショーウインドーの中にいました。それより前の、もっと赤ちゃんだった頃のことは覚えていません。
約十六年前の冬の晴れた日、パパとママが散歩しながら荒川屋さんの前を通ったとき、偶然、ショーウインドーの中にいるわたしと目が合いました。ママが「かわいぃー」と叫び、パパも「かわいいね」うなずきました。わたしも思わず「おしっこ」をチョロッとして二人に応えました。ママが、おしっこをするわたしの姿を見て、また、「まぁー、かわいぃー」と絶叫しました。そして、二人はすぐに、わたしを家に連れて帰る決心をしたらしいのです。いわゆる、衝動買いです。だけど、おしっこをして可愛がられたのはその時だけでした。後に地獄の躾が待っているとは、そのときのわたしには、ぜんぜん気がつきませんでした。
わたしが、パパとママ、そして利絵ちゃん、華ちゃんと一緒に暮らすようになったのは、1月末の寒い日でした。家族みんなで、わたしの世話をしてくれました。わたしの新しいハウスに電気マットを敷いたり、風が入らないように回りを毛布で囲ったり、わたし専用のトイレを用意したり、いろいろしてくれました。
わたしは、最初のうちはおしっこをちゃんと専用トイレに入ってしていました。だけど、冬の寒さのためだんだん我慢できなくなって、ついつい食堂のオレンジ色の絨毯の上でするようになりました。厚い絨毯の上ですると、ふわふわでお尻が温かいし、なんともいえず気持ちいいのです。それからは毎日絨毯の上ですることにしました。そのうちオレンジ色の絨毯におしっこの白いしみ跡があちこちにできてしまいました。
ある日、ママの外出中、突然、パパが大きな声を上げました。
「なんだ、この珊瑚礁のような白い跡は」
 パパがわたしをじろりと睨むと、やにわに、わたしの首ねっこを捕まえて、おしりを思いっきり叩きました。わたしはこわくて声が出せず、ぶるぶる震えました。パパの隣にいた身長160センチで堅肥りの華ちゃんが「マリちゃんに、なにをするの」と言って、175センチのがっしりした体格のパパに体当たりをするようにして、小さなわたしを奪い取って、助けてくれました。
それでも、わたしは、暖かな絨毯の上でやってしまう快感は忘れられませんでした。
 次の日の金曜日、パパが会社で、シーズー犬を飼っている同僚の會田さんからアドバイスを受けて帰ってきました。
「部長。どんなにマリちゃんが可愛いと思っても、トイレの躾だけは、心を鬼にしてやっておかないと、後々、マリちゃん本人がかわいそうですよ。どこにも一緒に連れて出られなくなります」
その晩、パパとママがお酒を飲みながら、ひそひそと役割を決めていました。
それは、「パパが心を鬼にして、スパルタでやる」という恐ろしい話し合いでした。
わたしは、二人の異様な空気を感じながら、どうすることもできず、ハウスの中で寝たふりをしていました。利絵ちゃんは新宿、2階からは華ちゃんの寝息が聞こえてくる、心細い夜でした。
 次の日の土曜日。パパが家にいる。朝早くから、わたしの近くで新聞を読んでいる。厳しい顔つきです。ママが泣きそうな顔になって席を立ち、食堂を出て2階の寝室へ上がっていきました。わたしは独り、パパの前に取り残されました。緊張のあまり、ちびりたくなりました。パパの目を盗んで、そーっと絨毯の上でしました。運悪く、すーっと湯気が立ってしまいました。
パパはチラッと横目で見て、何も言わずにわたしの首筋をつかみ、わたしを空中に吊り上げました。そして、絨毯のおしっこをしたところにわたしの鼻を力いっぱいごしごしとこすりつけ、わたしのおしりをピシャリと叩いて、大きな声で言いました。
「絨毯の上で、おしっこをしてはだめ」
 パパは、わたしの首筋をつかみ直して空中に吊り上げ、わたし専用のトイレへ連れて行きました。そして、トイレにおしりをぎゅっと押しつけ、大きな声で何度も言いました。
「おしっことウンチは、このトイレでやるの。分かった」
 わたしは、恐ろしさと痛さで、声を出せませんでした。
頼みの華ちゃんは買い物へ出かけて家にいない。利絵ちゃんとは連絡がとれない。二人なら、パパやママから怒られたりするので、わたしの苦しみを分かってくれるだろうと、ボーとする頭で考えました。荒川屋さんのショーウインドーの内側から見た、あの日のパパのやさしい顔がすーっと暗闇に消えていくような気がしました。
 地獄の躾は、その日から約1ヶ月続きました。毎日、鼻を絨毯にこすりつけられ、おしりをトイレに押しつけられました。いつも、わたしの鼻はおしっこの臭いだらけ、おしりは赤くなって、ひりひりしていました。
 でも、パパのお蔭で、その後のわたしは立派なもの。パパやママから、「マリちゃん、そろそろお出かけだから、おしっこをしなさい。ウンチをしておきなさい」と言われると、わたしは、言われた通りに、ちゃんとトイレに入ってできるようになりました。
浦和の家の中だけでなく、よその家へ行っても、どこのお店へ入っても、トイレの問題はまったく心配なしとなりました。
 かくして、わたしは、安心してどこへでも、パパとママに恥をかかせずに、一緒に外出できるようになりました。

(3)マリちゃんのお勉強
 トイレの躾が終わったら、次に、家族中で、「お手」「おすわり」「おあずけ」「おかわり」「伏せ」などのお勉強をわたしに始めました。
 わたしは、比較的早く「お手」「おすわり」「伏せ」を覚えましたが、それ以外はぜんぜん覚えられませんでした。
パパは「こいつは頭がわるい」と言いだすし、ママは焦りまくるし、家族中で大変なことになりました。
「マリちゃんなら、できるでしょう」
利絵ちゃんまでが、けっこう教育ママ的に迫ってきました。
鉄棒の逆上がりが苦手で、なかなかできない華ちゃんだけがひとり同情的で、「できないものは、しょうがないじゃん」と言って、慰めてくれます。
気が短いパパが、わたしと華ちゃんを睨みつけました。
「だから、ぐーたら部屋のふたりは駄目なのだ。御宿の北島さんのラブちゃんは何でもできる」
 わたしのために、華ちゃんまでが叱られるはめになりました。華ちゃんがわたしを抱きしめて、断固として、パパに抗議しました。
「パパ。北島さんちのラブちゃんと比較して、自分ちのマリちゃんをけなすのは、親として最低だよ。それに、ラブちゃんにだって逆上がりはできないよ」
 華ちゃんは、日頃、パパから叱られるわが身の口惜しさを、わたしの口惜しさに託して、言い切りました。
 そうしたら、パパは、「ム…」と言ったきり黙ってしまいました。
わたしも、パパに抗議しようと思ったけれど、二対一でパパを睨むと、パパがプッツンしそうだから、「やったネ、華ちゃん」と心の中で叫んで、じっと下を向いていました。
いざというときには、ぐーたら部屋のふたりは団結するのだ。華ちゃんとの強い絆を感じた瞬間でした。
 いずれにせよ、わたしの教育問題は、すでに華ちゃんが逆上がりの一件で、「できないものは、できない。無理なものは、無理」ということを、先例的、実践的かつ経験的にパパとママに示してくれていたお蔭で、曖昧な形で決着させることができました。
 結局、わたしのお勉強は「お手」と「おすわり」と「伏せ」だけで卒業になりました。だから今でも、「おあずけ」「おかわり」と言われても、何のことやら、さっぱり意味が分かりません。
 華ちゃんが、「そういうときは『わっかりませーん』と云って、手のひらを上に向け、両肩をすくめて答えればいいのさ」と、おかしな節のジェスチャア付きで教えてくれました。
 最後には、パパもママも、「トイレをしなさい」と云われて、ちゃんとトイレに入って、おしっこやウンチができる子は、うちのマリちゃんのほかには、世間にはそういないのではないか、と言って、それだけを夫婦共通の自慢の種にするようになりました。

(4)マリちゃんの苦労
 私を躾けた実績に自信を持ったパパが、無理難題を吹きかけてきたことがあります。
わたしが、お酒を飲んでいるパパの膝の上で、「ワン、ワン」と鳴いたときのことです。
パパが、赤い顔をして言いました。
「マリちゃん、ワン、ワンと鳴かずに、ワン、ツウと鳴けないかな。ワン、ツウと鳴くと、タレント犬として有名になって、テレビに出られるよ。マリちゃんは優秀だから、できると思うよ。ワン、ツウ、スリーと鳴けると、もっと完璧なのだけど。ギネスブックものだよ」
 パパは、わたしや華ちゃんに、ときどき無理難題を言うことがあります。パパがやさしい声を出すときは、大体そういうときです。そういうとき、わたしは、パパへの対応にとても苦労します。
 台所で洗いものをしていたママが、顔を上げ、振り返って、パパへ厳しく言いました。
「パパ、何を馬鹿なことを云っているの。そんなことを云うと、マリちゃんがノイローゼになってしまうわよ」
 わたしは、華ちゃんが日ごろから、「無理なことは無理。出来ないことは、出来ない」と、断固とした態度でパパに接している訳がよく分かりました。

 (5)マリちゃん、階段を下る
 わたしがまだ赤ちゃんだった頃は、いつも華ちゃんがわたしを抱っこして、2階へ連れて行ってくれました。1階へも、華ちゃんが抱いて下りてくれました。
 わたしが二歳になったとき、パパが、華ちゃんを怒鳴りました。
「マリちゃんを、いつまでも甘やかすんじゃない」
 華ちゃんが、反論してくれました。
「マリちゃんは体が小さいから、階段は無理だよ」
パパが、怒ります。
「甘やかすと、おまえみたいな人間になる」
 それでも華ちゃんは、頑張ります。
「そういう、人が嫌がることばかり云っていると、寂しい老後が待ってるよ」
 パパが、言い返します。
「それより、逆上がりができるようになりなさい」
 華ちゃんは、逆上がりのことを言われるとむきになります。
「鉄棒のことは、関係ないでしょう」
 わたしも、華ちゃんを応援します。
「そうだ、そうだ。ワン、ワン」
 パパの、いつものお決まりのせりふが飛び出します。
「どうしようもない、やつらだ」
 パパがわたしと華ちゃんを叱るときに、パパが最後に使う捨て台詞です。
 華ちゃんは子供部屋のドアをばたんと閉めて、中に閉じこもってしまいます。わたしも慌てて、華ちゃんと一緒に部屋へ飛び込みました。
その日はそれで終わりましたが、これから先、わたしはパパにどうされるのかとても不安でした。
それから2週間後の日曜日。ママは、お友だちの家へ朝早くから遊びに行ってお留守。利絵ちゃんは新宿のマンション。華ちゃんはお友達と本屋さんへ出かけている。
パパは会社がお休みで、ひとり家の中。
わたしは朝から、胸騒ぎと不吉な予感をずっーと感じていました。
パパが、突然、わたしを抱いて家の階段を上がりました。全部で、13段。パパは、階段の一番上にわたしを座らせて、猫なで声で言いました。
「さー、マリちゃん、階段を下りてごらん。マリちゃんならできるよね」
 以前、わたしは、華ちゃんから忠告されたことがありました。
「マリちゃん。パパの猫なで声には気をつけな。のらネコ親分の『茶寅ボス』より恐ろしいからね」
 わたしは、思わずぞーっとして、後ずさりしました。
 それでもパパは、猫なで声で何度も繰り返しました。
「マリちゃん、下りてごらん。1段ずつ下りればいいのだから」
 わたしは、13段の階段の最上階から下を見て、恐怖で足がすくみました。パパが、わたしの背後から、わたしのおしりを軽く押しました。わたしは、背中を丸めて、いやいやをしました。
 パパがわたしに、やさしく声をかけてくれました。
「こわいのかい、マリちゃん。だったら、パパが教えてあげるからね」
 そうして、わたしの背中を少し持ち上げて、前足を1段下の階段へやさしく下ろしました。次に、わたしの腰を持ち上げて、後ろ足を同じ階にそっと下ろしました。そうやって、13段の階段ぜんぶを同じようなやり方で、わたしを1階まで下ろしてくれました。
「さあ、マリちゃん。もう一度、やってみよう」
 パパが、わたしを抱いて、2階へ上がります。抱かれたわたしの体に、パパの心臓の鼓動が、どくん、どくん、と伝わってきました。
 わたしは、思いました。
「パパは、わたしのために、一生懸命なのだ」
 パパが、やさしい声で言いました。
「さぁ、マリちゃん。もう一度」
 わたしは、ふたたび階段の上に座らされました。パパにおしりを押されましたが、やはり、いやいやをして腰を引きました。
 パパがやさしく言いました。
「じゃあ、もう一回やってみようね」
 パパが、同じことを何度も何度も繰りかえしてくれました。
 パパが教えてくれました。
「なん回も、同じことを繰りかえしてやるのが上達のこつなんだ。最後まで頑張ることが大切だ」
 繰りかえしているうちに、わたしはパパの手を借りずに下りられるようになってきました。高い所から下りるという恐怖心もなくなってきました。
 最後にもう一回。階段のいちばん上に座りました。
「もう、パパに頼らなくても出来るだろう。自分でやってごらん」
 パパが、かるくおしりを押しました。わたしは、自分で、階段を一段、一段、ゆっくり、ゆっくり、降りました。途中で立ち止まると恐怖で足がすくむので、夢中で一番下まで降りました。とうとう、自分一人で降りることができました。
「やる気になれば、やれるだろう」
 パパが言いました。いつも華ちゃんが言われている言葉です。
 前の日の土曜日に、華ちゃんは小学校の校庭でパパの特訓を受けて、どうにか鉄棒の逆上がりができるようになりました。家に帰ってきた華ちゃんが、わたしに明るい声で言いました。「マリちゃん、いっしょうけんめいにやってみたら、逆上がりができたよ」
 今までの華ちゃんだったら、「やれたんじゃないよ。無理やりやらされたんだ」と言うはずでしたが、昨日の華ちゃんはそうは言いませんでした。
わたしも、華ちゃんの言うとおり、「やる気になれば、できるのだ」と、実感して思いました。
パパの教えのおかげで、華ちゃんもわたしも少し成長した気分になりました。
 階段下りができるようになると、階段上りはとても簡単でした。
 こうして、わたしは、階段の昇り降りを、自分ひとりでできるようになりました。
 ママが、お友だちの家から帰ってきました。わたしは、何度も、何度も、ママの前で、階段の昇り降りを披露しました。
利絵ちゃんが帰ってきたときも、同じことをしました。
華ちゃんにもご披露。
 みんなが目を丸くして、わたしを褒めてくれました。
ママは「やっぱり、マリちゃんは私の子ね。優秀だわ」と言い、利絵ちゃんは嬉しそうに微笑んで、わたしに頬ずりをしてくれました。華ちゃんは「すごいじゃん」と満足げでした。
 わたしは、パパの顔をチラッと見上げました。パパは、「マリちゃん、よくやったね」というような顔をして、ビールを飲んで、赤い顔になっていました。
わたしは、ものすごく疲れたので、その日は早々とハウスに入って寝ました。
 パパがママに言っている話が聞こえてきました。
「これで、マリちゃんのトイレの躾が終わり、ひとりで階段の昇り降りが出来るようになった。これからは、世間のどこへ出しても、マリちゃんが困ったり、恥をかいたり、他人に迷惑をかけることはないだろう。今日で、マリちゃんの教育は終わりにしよう」
 ママが嬉しそうに答えました。
「よかったわ。かわいいマリちゃん」
 わたしのことを大切に想ってくれているパパとママの気持ちが、しみじみ伝わってきた夜でした。

(6)マリちゃん、御宿のマンションへ行く
 パパが毎朝思いつめたように新聞の不動産広告欄をながめています。郵送されてくる不動産屋さんからのダイレクトメールも必ず封を切って見ていました。今までは封を切らずにそのままごみ箱に捨てていたのに。
ママが、「パパが思いつめると大変なことになる」と、はらはら
しながらパパの様子を見つめていました。
 パパは、私を連れて外泊できるリゾートマンションを探していたのです。
ついに、パパが行動に出ました。東京のマンション販売会社に電話して、千葉県の海の近くにあるマンションを見に行きたいと、内見を申し込みました。御宿という名の海岸です。
「見学するだけなら」ということでママも気晴らしで行くことに同意しました。
いつもパパは、「見るだけだから」と言ってママをデパートに連
れだし、結局目当てのものを買ってしまうのですが、今回は高額のマンションなので、「よもや、そういうことはしないだろう」と、ママは考えたようでした。
海水浴シーズンが終わった八月末、ママの運転で、パパとわたしの三人で御宿へ行きました。御宿海岸は、砂が白く、海は鮮やかなコバルト・ブルーでした。
パパは、砂のきれいな、コバルト・ブルーの海が大好きで、そういう海辺に寝ころがって、ボーとした時間を過ごすことが、最高の贅沢だと考えている人でした。
「潮風のなかで、お金では買えない至福のときを過ごすのだから、人生、最高に贅沢なのだ」ということです。
特に、パパは、ハワイのワイキキビーチが一番のお気に入りで、わたしが宗像の家にくる前は、夏休みや冬休みを利用してもう何回も家族旅行で出掛けています。ハワイの海はパパのイメージにぴったりで、「湿度がまったくなく、カラッとしていて、汗をかかないでいられる」というのが、汗かきパパのハワイ大好きの最大の理由だと、ママが教えてくれました。
御宿の海岸を散歩しながら、パパが、「年間を通してサーフィンをする若い人がいる。これもハワイのような雰囲気だ」と、呟いていました。
要するに、パパは、湿度の点を除いて、青い海、白い砂、海岸の雰囲気などなにもかもがすっかり気に入ってしまったようです。
ママもピチピチのOL時代に御宿海岸に海水浴に来たことがあったようです。ママにとっても、思い出のあるなつかしい海辺のようでした。
御宿海岸には、有名な童謡「月の砂漠」のイメージとなった白い砂浜があり、浜辺にはラクダに乗った王子さまと王女さまの銅像がゆったりとした雰囲気で立っていました。
二人とも、マンションを見学する前からすでに御宿海岸のとりこになっていました。
 海岸から歩いて3分の所に目的のリゾートマンションがありました。入口の内線電話でマンション会社の営業担当者を呼び出し、部屋の案内を頼みました。販売会社は、本社は東京にあり、土曜日、日曜日は担当者が御宿に泊り込みで、部屋を見学に来る人を案内しているとのことでした。
その担当者の人の説明は要領がよく、人柄も誠実そうなのでパパもママも信頼したようでした。パパとママは、いっそう御宿に好感を持ったようでした。
部屋を案内してもらう前に、パパが、「ペットも一緒に住めるのですね」と念を押しました。担当者は即座に、「ええ、大丈夫ですよ。管理規約にはっきり書いてあります。既にお住まいの方で、部屋の中でワンちゃんと一緒に生活されている人もいらっしゃいますよ」と答え、続けて「ここはリゾートマンションですから、ペットを一緒に連れてこられなかったら、購入される意味がありません」と明確に言い切りました。
この一言で、『マリちゃんと一緒にお泊まりするために、マンションを購入する』というパパの大義名分が出来上がりました。あとはどの部屋に決めるかの問題となりました。  
ママは、こういう場面では、パパの決断に反対するようなタイプの女性ではありませ
ん。むしろ内心では、パパがマリちゃんのために下した大きな決断に満足していたのです。わたしはいつも、こういうときのママの腹のすわり方は本当に凄いと感心しています。
ママの気持ちも購入に傾いたのだから、話しは早いものでした。担当者が丁寧に見晴らしの良い部屋を三室案内してくれました。わたしは、なんの気兼ねもなく部屋の中を歩き回り、くんくん嗅いで自由な雰囲気を感じ取りました。パパとママはそのうちの二部屋を候補に決めて、一週間くらいの検討期間をもらい、マンションを後にしました。
浦和に帰る車の中でパパが、「なんとかなるさ」と呟きました。「なんとかなるさ」と「さよならだけが人生だ」がパパの口癖です。
ママは、パパと御宿のマンションへ運び込む家財道具の相談をしながら、上機嫌で車を運転しました。
 家に帰ってから、ママはさっそく利絵ちゃんに電話して、マンション購入の一件を話しました。利絵ちゃんは、「マリちゃんのためによかった」と賛成しました。華ちゃんが、「マリちゃん、海で一緒に泳ごうね。浮輪をかしてあげるからね」と言ってくれました。
その夜、わたしは、御宿の海岸をママや利絵ちゃん、華ちゃんと一緒に走る夢を見ました。わたしが一番早かった。そして、後ろを振り返ると、パパがはるか後ろをフウ、フウいいながら走っていて、砂に足を取られてどさっと転びました。
夢のなかで、家族のみんなが楽しそうに笑っていました。

(7)利絵ちゃんと華ちゃんのその後
 マリちゃんが浦和の家に来たとき大学生と中学生だった利絵ちゃんと華ちゃんも、すでに三十歳を過ぎ、それぞれ浦和の家から独立して一人住まいをしています。
二人ともまだ独身ですが、利絵ちゃんは東京港区のワンルームマンションに住み、会社に勤めて活躍しています。営業の仕事で、英語がペラペラの利絵ちゃんは、外国へ出張したり、海外からのお客様を国内のあちこちへ案内したりしています。
大活躍の、大忙しの毎日です。

高校生のときに整体師になることを志望した華ちゃんは、整体の専門学校で実技と学科を勉強して、夢を実現させました。さいたま市内の整体院に勤めて夜遅くまで頑張って仕事をしています。
わたしは、「華ちゃんも、やる気になれば、すごいじゃん」と思いました。
そして、仕事が終わる時間がとても遅いので、仕事場の近くにワンルームマンションを借りて、そこへ移り住みました。浦和の家から引っ越すとき、華ちゃんは、ママのお友だちの岩本美和子さんが描いてくれたマリちゃんの油絵2枚のうちの1枚をママから貰って、大切に持っていきました。
わたしの絵が、留守中の華ちゃんの部屋をしっかり守っています。

こうして、浦和の家は、パパとママの二人だけになってしまいました。わたしは、空の上から浦和のマンションを見下ろすたびに、家族五人そろって生活をしていたあの頃を、いつも懐かしく思い出します。

 マリちゃんの話が終わりました。
 話を聞き終えた東北の動物たちは、それぞれ、笑いに満ちあふれていた家族との生活を思い出してしんみりしてしまいました。一人ひとりが、しくしく泣きだしました。
哀しいのです。寂しいのです。そして、悔しいのです。理不尽にも、家族と動物たちの平和な日常生活が奪われてしまったからです。
動物たちみんなが、心から願いました。
『早く、天の川の向こう岸にある天国へ行って、懐かしい家族と再会したい』
 マリちゃんは、いろいろな話をたくさんしたので、喉が渇きました。天の川の清らかな水をピチャ、ピチャと音をたてて飲みました。
 天上に夜がやってきました。マリちゃんは横になり、パパやママ、利絵ちゃん、華ちゃんの夢を見ようと、両足を伸ばして横になり、ゆっくりと目をつむり、クウクウと寝息をたて始めました。
 星たちが、眠り込んだマリちゃんに雲の毛布を掛けながら、やさしくお礼を言いました。
「マリちゃん、ありがとう。浦和での生活は楽しかったのね。この河原で、いつまでもひとりのままでは、マリちゃんがかわいそう」
マリちゃんがぐっすり寝入った後に、一日のお勤めを終えられたお天道さまが河原に戻ってこられました。
 夜空に顔を出そうとする星たちが、お天道さまにお願いをしました。
「お天道さま。マリちゃんがこの河原にきて、もう一年半以上が経ちました。マリちゃんは自分を犠牲にして、弱音を云わずに、東北地方の仲間を助けてきました。すでに、マリちゃんは体力の限界を超えています。このままでは、マリちゃんが余りにもかわいそうです。マリちゃんを、天の川の虹の彼方にある天国まで連れていってあげてください。これからは、マリちゃんにも幸せになって欲しいのです」
 織姫と彦星も、声を合わせて言いました。
「そのうえ、マリちゃんは、私たちにも気を遣って、星たちを癒してくれました」
 お天道さまは、疲れ果ててぐっすり寝入っているマリちゃんをじっと見つめられました。
そして、星たちに答えられました。
「そうしよう。マリちゃんだけでなく、この河原にいる東北の動物たちもみんな一緒に天国へ連れていってあげよう」
 それを聞いた星たちは、胸がいっぱいになりました。
「お天道さまは、すべてを平等に為されるのだ」
 そして、お天道さまがつぶやかれました。
「マリちゃんには、まだ会ったことのないおばあさんと愛犬のべスにも逢わせてあげよう」
 織姫と彦星は、声をそろえてお礼を言いました。
「お天道さま、ありがとうございます。これで、マリちゃんもほかの仲間たちも寂しい思いから開放されて、幸せになれます」
 お天道さまが、大きくうなずかれました。そして、ゆっくりと立ち上がり、大きな、大きな両手にマリちゃんや気の毒な動物たちを大切に包み込み、「では、行ってくる」と言い残して、いぶし銀の雲海の中へ静かに消えてゆかれました。
 星たちが声を合わせて、マリちゃんを見送りました。
「マリちゃん、ありがとう、そして、さようなら。天国へ行ったら、みんなと一緒に幸せに暮らしてね」
 織姫と彦星が、涙をポロポロ流しながら叫びました。
「マリちゃん、ありがとう。本当にありがとう。そして、いつまでも、いつまでも、さようなら。さようなら」
 雲の上に、夜の帳(とばり)が下りてきました。
 澄み渡った夜空から、星たちが明るい光をいっせいにキラキラと
放ちだしました。それは、地上にいるパパとママ、利絵ちゃん、華
ちゃんに、マリちゃんが無事に天国へ行けたことを知らせる合図の
光でした。
 そして、それは、避難所で苦難に耐えて生活している東北地方の
人たちに向かって、人々が飼っていたペットや牛、馬、そして諸々
の動物たちがみんなそろって天国へ行ったことを知らせる合図の光
でもありました。

今夜も、パパとママは、いつもマリちゃんと一緒に遊んだベランダに出て、美しい夜空の星を見上げています。
パパが、一番明るく光る『マリちゃん星』へ向かって、呼びかけました。
「おーい、マリちゃーん。元気かーい」
ママが、隣で、やさしい声で叫びました。
「マリちゃーん」
 パパの涙とママの涙で、明るく輝く『マリちゃん星』が虹になって、かわいいしっぽをくるくる振っているように、七色に滲んで光りました。
          おしまい
推奨数:179 平均点:10.00

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