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浦島太郎と音姫  やなぎゆう

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2017-2-18 10:46 | 最終変更
nbg-toukou  長老   投稿数: 296
        浦島太郎と音姫      

                       やなぎ ゆう         

 浦島太郎のお話しご存知ですよね?
そう 竜宮城から戴いてきた玉手箱を開けたら白髪のおじいさんになってしまったというお話です。
忘れてしまった方、あるいはご存知ない方のために、少しご紹介しますね。


 むかしむかし、ある村に、心のやさしい浦島太郎という若者がいました。
浦島さんが海辺を通りかかると、子どもたちが大きなカメを捕まえていました。そばによって見てみると、子どもたちがみんなでカメをいじめています。
「おやおや、かわいそうに、逃がしておやりよ」
「いやだよ。おらたちが、やっと捕まえたんだもの。どうしようと、おらたちの勝手だろ」
見るとカメは涙をハラハラとこぼしながら、浦島さんを見つめています。浦島さんはお金を取り出すと、子どもたちに差し出して言いました。
「それでは、このお金をあげるから、おじさんにカメを売っておくれ」
「うん、それならいいよ」
こうして浦島さんは、子どもたちからカメを受け取ると、
「大丈夫かい? もう、捕まるんじゃないよ」
と、カメをそっと、海の中へ逃がしてやりました。

 さて、それから二、三日たったある日の事、浦島さんが海に出かけて魚を釣っていると、
「・・・浦島さん、・・・浦島さん」
と、誰かが呼ぶ声がします。
「おや? 誰が呼んでいるのだろう?」
「わたしですよ」
すると海の上に、ひょっこりとカメが頭を出して言いました。
「このあいだは助けていただいて、ありがとうございました」
「ああ、あの時のカメさん」
「はい、おかげで命が助かりました。ところで浦島さんは、竜宮へ行った事がありますか?」
「竜宮? さあ? 竜宮って、どこにあるんだい?」
「海の底です」

********

 竜宮に案内された浦島さんはカメを助けたお礼にと、乙姫様から歓迎され一日経ち、二日たち・・とうとう三年間も過ごしてしまいました。やがて待っている家族が心配になり、玉手箱をいただいて帰ってみると・・・

 竜宮の三年はこの世の三百年に当たり、地上の様子はすっかり変わっていました。家族も友達もみんな死んでしまい、がっくりしていると、「玉手箱を開けると【時】が戻ってしまう」と言っていた乙姫様の言葉を思い出します。
自分が暮らしていた【時】に戻ることを期待して、浦島さんは玉手箱を開けてしまいます。

 モクモクと立ち上る白い煙は楽しかった竜宮城の【時】に戻り、やがて煙はうすれ、髪の毛も髭も真っ白なおじいさんが残りました。

・・・というお話です。


 さて、この浦島太郎のお伽噺について少し分析して見ましょう。

 長野県南西部、木曾川の上流に「木曾の寝覚(ねざめ)の床(とこ)」という渓谷があります。
 木曾川の激しい流れが花崗岩を侵食し奇岩に富んだ渓谷をなし、江戸時代から木曽路随一の景勝地として知られています。そこに浦島太郎が持ったという釣竿が祀ってあり、太郎の伝説が残っています。これを見ると浦島太郎は実在であると考えられます。

 漁の好きな若者が、沖で難船し、朝鮮に漂着しました。
龍宮城というのはそのころの朝鮮の王城で、王様は素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)。    
その皇后は乙米姫という御名でありました。

 素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)は神典にあるように、伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊の子供で、天照大神の弟とされ、日本神話の代表的神格,出雲神話の祖神とされています。
乙米姫は天照大神の弟神の姫に当たるところから、弟の姫をつめて乙姫と唱えられていました。

 当時素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)は日本に渡来し、出雲朝を打ち樹てたり、放浪の旅に出たり常に不在でした。朝鮮に漂着した太郎を助けたのは乙姫さまが独り暮らしの淋しさから眉目秀麗な太郎に恋慕し寵愛することになったのは必然の成り行きと考えられます。

 太郎という名前は実在するようです。 しかし玉手箱は作り事で、もし本当ならば空箱が残っているはずであろうから・・と。



 この浦島太郎伝説は、長野県の木曽の他に、神奈川県横浜、京都府、岐阜、愛知、香川、鹿児島、沖縄などの地にも残っています。


 浦島太郎は丹後の国水之江の人で、太郎が竜宮城へ行ったのは日本書紀では西暦478年(雄略天皇22年)の秋のことと記されています。 どの地の伝説が史実かは不明ですが
寝覚の床には竜宮城からもどってからの太郎が陸を歩いてこの地にたどり着いたとされる話とその後の話が残っています。

それは
 
 竜宮城から故郷へ帰ってきたものの,太郎は家もなく,親兄弟もおらず,さまよい歩いていました。どこをどう歩いたかわからないまま,木曽川にたどり着き,その美しい風景を見て暮らすことになります。

 浦島太郎は木曽川で釣りをしながら寂しく暮らしていましたが,ある時,乙姫様からもらった玉手箱をあけました。すると,玉手箱からは白煙が出て,300歳の白髪の翁になってしまいました。
太郎は今まで「夢」でも見ていたかのように思い,ここで目が覚めたようになったことから,この地を「寝覚め」というようになり、床のような岩があるところで,「寝覚の床」と呼ぶようになったといいます。

その後、

 浦島太郎は自分の姿を見て悲しみ,弁才天像や釣り竿などの遺品を残して消え去ってしまいました。村人たちはこれを祠(ほこら)に納め寺を建ててその菩提をとむらったといいます。臨川寺(りんせんてら)にはそれらが祀られています。岩の上には浦島大明神を祀った浦島堂があります。

この話は今から約1200年前のことです。


 一方、乙姫様はと言いますと、

 性格の荒い夫、素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)が流浪の旅に出ていたので、孤独の生活を送っていた乙姫様は故郷の朝鮮に帰り壮麗な城を築きました。そして宮殿内には多くの侍女を侍らせ、空閨を守っておりました。

 ところがそこへ太郎という漁好きの若者が大暴海に遭い、朝鮮海岸に漂着して救われました。
当時は日本人も珍しがられておりましたので、男子禁制の王城内に招かれることになりました。
当時の乙姫様は寂寥に堪えなかったために、太郎という若者が稀なる美貌の持ち主でもあり恋慕の情が湧き、城内に滞在させることになりました。


 やがてこのことが人民の耳に入り、つのる非難の声に乙姫様は遂に愛着を絶つことになりました。

 そして土産物として太郎に素晴らしい宝物を箱に納め、持ち帰らせました。これが玉手箱です。
これを開けると白髪になるという伝説は後の人の作り事であって、浦島という姓も朝鮮が日本の裏になっているから後世の作者が付けたのであろうとしています。

 
 乙(音)姫が朝鮮の女王格であった時代は、日本も支那も圧倒されて、印度以東は朝鮮の勢力範囲といっても過言ではありません。もちろんそれは素戔嗚尊が一時は飛ぶ鳥も落とすほどの勢いであり、音姫という女神は男勝りの女傑であった時代だからです。


 日本古来の神々は印度へ渡航し化身仏となられました。その総領が伊都能売(いづのめ)神で素戔嗚(すさのおの)尊(みこと)の兄、音姫様にとっては義兄となります。


 伊都能売神の地位を狙って、素戔嗚尊は争いを仕掛けますが、遂には生命までに及んだので、伊都能売神は急遽御位を棄てて日本を脱出し、支那を経由して印度に落ち延びました。
その後観自在菩薩の御名によって印度の南方海岸付近に館を建て説教をされておりました。


 やがて印度の経綸を終えた観自在菩薩は帰国しようと南支那方面までやって来ましたが、日本はまだ素戔嗚尊の管理下で危険な状況でしたので、しばらくこの地に滞在することになりました。


 この南支那地方は音姫の勢力範囲でしたので、音姫の世を静観することとなり、観世音と名づけられました。

 観音信仰は支那全土にまで行き渡り、やがて御年も重ねられ、経綸もほぼ成し遂げられたとして、観世音菩薩は日本に渡来することなくこの地で終焉されましたが、
観音信仰は衰えを見せずに応身の弥勒となり歴史は動いて行くのでした。

 一方、

 太郎は釣竿などの遺品を寝覚ノ床に残し、命尽きるまで美しい日本の地をさまよい歩き、やがて大自然の地に還られたことでしょう。




参考資料 「伝説の扉」サイト
     岡田茂吉「文明の創造」
推奨数:1 平均点:0.00

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