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大原幽学
43、人の情け‐3

4、人の情け−4

  片山神社を過ぎて周囲が灌木に覆われた暗い曲がりくねった坂道を下ると荒井谷の一里塚がある。そこから坂下の宿は半里もない。

  左門はふと空を見た。

街道を覆う枝葉を縫って落ちてくる冷たい雨を頬に感じたのだ。

「休んで行くかね?」

左門が足を休めて振り向くと、トセが今にも倒れそうに喘ぎながら首を振った。

「その先の、岩屋観音さままで急ぎます。ご親切にありがとうございます」
何度も頭を下げたトセは、足を休めずに背に回した手を揺すって老母マキを上にずらせて足元を見つめ直し、左門の前に立って歩みを進めた。

確かに雨具を出すほどの雨でもない。左門は無言で続いたが、心の内ではトセのその揺るぎない意思の強さに驚嘆していた。

やがて、小雨の彼方に欅の大木に囲まれた、その岩屋観音への階段が見えてきた。
岩を抉った高さ十間(十八メ−トル)の巨大な洞穴に築かれた岩屋観音には、旅人の信仰を集め、道中の安全を祈願する阿弥陀如来、十一面観音、延命地蔵の三体の石仏が安置されている。その岩屋観音はまた、隣接する小滝から名をとって清滝観音とも呼ばれている。トセが先に急ぎ、左門が遅れて続いた。

背の老人は、すでにコト切れたのか吐く息が左門には感じられない。

トセがよろめきながら洞窟内の岩屋観音に駆け込んで軒下の縁に老母を下ろして荒い息を吐いてよろめいた。それを待っていたかのように堂の余手に潜んでいた浪人風の男が五人、肩を揺すって現れてトセ親子を取り囲んだ。

その中の数人の視線は後に続く左門をチラと見たが、丸腰で浪人を背負った若い左門になど興味がないように、トセを舐めるような目でみまわしている。

「やい、娘。飯はないか?」

「銭でもいいぞ!」

「銭がなければ……分かってるだろうな?」

トセは返事もせずに睨み返している。

そこに、老人を背負った左門が割り込んだ。

「おい。われわれが休むから、そこを退け!」

この横柄な左門の態度に、五人が怒った。

「なんだ,貴様は?」

「ケガをしたくなければ金を出せ!」

「ほう、借用書を書くかね?」

「なにを!」

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血相変えた不精で汗くさい浪人の一人が、左門に殴りかかった瞬間に脛を蹴られて昏倒した。左門の蹴りが早すぎて何が起こったか誰にも分からない。

だだ、左門を殴り倒したい気持ちは一緒だから二番手の男が拳を振り上げ……そこまでだった。いずこから飛来したのか小粒の石つぶてが眉間に命中したから悲鳴を発して両手で額を抱えてうずくまる。次の男は何が何だか理解できない恐怖から思わず刀を引き抜いて居合抜きで無腰の若者の胴を真っ二つに切り裂いた……はずだった。しかし、そこには誰も居ない。切ったはずの若者は老人を背にしたまま二尺も横に飛び去り、自分の背後にはいつの間に現れたのか鳥追姿の女性が太い固そうな棒を持って立っている。

「ご浪人さん」

優しく呼びかけられて振り向くと、棒で思いっきり殴られて目から火花を散らすどこ
ろか血だらけになった崩れ落ちた。残った二人が怒り狂って刀を抜き、見境いなく女に切りかかったが、避けられて体勢が崩れたところを、老人を背負った若い男に尻を蹴られ、振り向いたところを背後から女に棒で殴られて血を噴いて卒倒した。

それでも五人の浪人は、よろめくきながらも立ち上がって反撃したが、男に蹴られ女
に殴られ、ついには息も絶え絶えに詫びて命乞いをするしかない。

「この病弱な母親を背負った孝行娘に、わらじ銭を出してやれ」

これが左門が彼らに出した和解案だった。

五人が渋ると容赦なく蹴倒したので、あわてて咲が止めに入った。

「もう人殺しは止めてください。今日はもう六人も蹴り殺したでしょ!」

いかにも本当のように咲が言い、五人を見て優しく語りかけた。

「あなたたち早く有り金出さないと、この人に蹴り殺されますよ」

血だらけの五人は先を争うように懐中の巾着からなけなしの金を出したが、銅銭、豆銀を集めても五人でたったの三朱と、一両にも満たない。

「あら、本当に貧しいのね?」

咲は、先刻からのやりとりを何処かで眺めていたらしい。

「これに懲りて追剥は止めてください。わたしのお握りと小銭を差し上げますから」

咲が左門を見た。左門も仕方なく自分のにぎり飯一食分を取り出した。

「これで一人一ケづつはあるだろ?」

五人が観音様にでも拝むように咲に手を合わせた。

左門の蹴りより、咲の太い棒の打撃の方がはるかに痛かったのを忘れている。

「これに懲りて、追剥は止めな」

左門が咲の口真似をして懐中の巾着をとり出して一両小判を5枚、立ったまま投げて汗を拭っている間に、五人の男達は夢中で一両と小銭と飯を分け合っている。

彼らは、「ここで解散だ」「縁があったら会おう」と頷き合って、左門と咲に頭を下げると、それぞれが握り飯を頬ばりながら足を引きずり小雨降る街道を逃げ散った。

トセが、岩屋観音の古びた軒下の縁に腰掛けた老母に竹筒の水を飲ませ、その竹筒を左門に背負われている伝蔵に手渡そうと声をかけたが返事はない。伝蔵は左門にしがみついたまま息耐えていたのだ。咲が手を合わせ、トセが泣いて伝蔵にしがみつき、咲が手を合わせた。

そこからの道のりは辛いものだった。

咲は預かっていた大小を左門に手渡すと、いつの間にか姿を消している。

伝蔵の遺体を背に負ったま腰に大小をたばさみながら、武士はやはり刀が腰にないと落ちつかないものだ、と悟っていた。

トセは言葉もなくすすり泣きながら道を急ぎ、左門は無言で後に続いた。

二人は、松阪屋で用意してくれた大きめの丈夫な油紙の大きめの雨具をすっぽりと背から覆い、氷雨降る山路をひたすら急ぎ下っていた。

山路を荷駄を積んだ栗毛の馬が喘ぎながら登って来るのが見えた。手綱を握る男の唄う馬子歌が小雨降る樹林を縫ってしみてゆく。

「手づな 片手の 浮雲暮らし 馬の鼻唄 通り雨〜」

その声は、ともすれば沈みがちになる左門を勇気づけてくれた。

左門が柳生道場に通っていた頃に、仲間の一人が家で唄って父親に殴られた、という話をしながら教えてくれたから左門も唄えるのだが、やはり本物の馬子歌は格が違う。

たしか、「関の小満が関山あ通い、月に雪駄が二十五足」というのもあった。

今から三十年ほど前のことだった。関宿・山田屋の養女小満が十八歳の初秋、馬子に扮して亀山城下に潜り、実父を殺した小林軍太夫を討ち取って仇討ちの本懐を遂げた。

小満は、それまでの数年間、雨の日も風の日も関から亀山の剣術道場に通って腕を磨いたという。

その小満は左門が七歳のとき、三十六歳で病死している。その話は美談として寺小屋で聞いた。

木の間越しの眼下はるかに鈴鹿川を見て曲がりくねった山道を下ると、東海道で江戸から四十八番目の坂下の宿にたどり着く。

法安寺の長い白塀を越えると街道の両側に賑やかに旅籠や店々が立ち並び、往来する旅人を誘い込む。

「休んで行くかね?」

足運びが危ういトセに並んだ左門が声をかけると、トセが気丈に答えた。

「ありがとうごぜえます。も少し歩けます」

トセは歩みを緩めずに、そのまま脇本陣の小竹屋、本陣の大竹屋、梅屋などの豪勢な門構えを横目に見て、そのまま歩みを止めずに坂下の宿を抜けた。左門はトセを気遣いながら歩調を合わせて会話のできる距離で歩いたが、会話はない。

民家もまばらな沓掛の部落を越えると、弁天一里塚の橋を渡り、街道の右に見えた鈴鹿川の流れが左に変わると、鬱蒼とした樹木の暗い道が終わって景観が変わる。

雨もやみ雲間から陽がさしたこともあって、眼下に広大な原野がひらけていた。
やがて、大和と伊賀街道への西追分の交差路がある。

「もう一息です」

トセが自分を奮い立たすように言って初めて笑顔を見せた。

45、人の情け‐5


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