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坂本龍馬
3、 夢の中へ


第八章 龍馬の秘密

4、 二十八歳、脱藩の思い出


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 4、二十八歳、脱藩の思い出

 龍馬が死は怖くないと思ったのは二十八歳のときだった。
 その前年の歳末に十八歳年長の長姉千鶴が逝去した。次姉の栄はすでに死しており、実母も十二歳で亡くしている龍馬としては、経済的に頼りになるのは兄の権平と兄嫁だったが、兄は物事にこだわらず出世欲などさらさらない龍馬に厳しく兄嫁もそれに倣った。その結果、図体が大きい割りに寂しがり屋の龍馬の甘えどころは、出戻りで三歳上の乙女姉とお手伝いとして住み込んでいる縁続きのおやべしかいなかった。おやべは乳母のようにいつも龍馬を抱きしめてはくれたが乳母ではない。
 日根野道場から臨時御用を兼ねた江戸での修行期を経て、各藩の自由な気風を知るに連れ、商人郷士と呼ばれて蔑まれるこの身が疎ましく思えていた。そんな時に親族の武市半平太が土佐勤王党を結成、龍馬は一も二もなく加盟して半平太の手足となって働くことになったが、それが生き甲斐になるわけではなかった。
 二十八歳の文久二(一八六二)年は、龍馬にとって一生忘れられない波乱万丈の年になった。
 まず正月早々、今思い出しても妙なことばかりが続いていた。
 萩の明倫館で行われた剣術試合では、さほど強くもない相手に完敗して自信喪失、以後剣術では誰にも勝ったことがない。
 次は、親戚で六歳年長の武市半平太の紹介で、松陰塾一の俊才と謳われた久坂玄瑞に会ったときのことだ。
 この龍馬より五歳年下の長州藩の若き指導者は、新たな国家像を論じて天皇擁立による政治を是とし、幕府の権力独占的な政治のあり方を非として語った。その上、龍馬が知らなかった土佐藩の混沌とした内部事情と独断的で主義主張のはっきりしない藩主、さらには封建的な身分制度などを痛烈に批判した。これが龍馬の心を動かした。
 その結果、迷いに迷った末に脱藩の道を考えるようになったのだ。
 このまま出世に縁のないまま土佐に居ても、無禄の上に町人郷士と蔑まれるだけで自分の才能を生かす道もない。日根野道場でいつも稽古をつけている士分で年下の後輩に道ですれ違ったことがある。雨の日だった。つい気軽に声をかけたところ、「無礼者!」と番傘で顔を殴られ、ぬかるみに土下座させられて高下駄で蹴り倒されたことがある。土佐では郷士では下駄も履けず傘も差せず、上士に会えば道を譲って座して通す。これが当たり前で絶対に逆らえない。こんな土地では天下国家を語ることなどいくら口から泡を飛ばして語っても世の中は動かせない。それを龍馬は過激な倒幕論者の久坂玄瑞から学び、脱藩して日本の渦の中心に入る気になったのだ。
 だが、なかなか決断には至らない。脱藩は重罪だから一族全体が脱藩幇助とみなされて罪人扱いにされることもある。罪が家族に及ぶことを考えると意思も弱まり、ますます卑屈で弱い人間に落ち込んでゆく。その上、家で悶々としている姿から脱藩の意思を長兄の権平に見抜かれ、安物とはいえ龍馬にとっては命より大切な大小の差し料を取り上げられてしまい、脱藩どころか表も歩けなくなっていた。
 この身動きがとれない龍馬の状態を見かねた姉の乙女が龍馬を抱きしめ「人生は一回きり、男なら初心貫徹でしょ!」と励まし、長兄が秘蔵していた家伝の宝刀・武蔵大壌藤原忠廣と、そこそこに名のある短刀を蔵から探し出して来て龍馬に与えたのだ。
「この頃は誰も倉干ししないから大丈夫、もしも紛失が露見しても、あたしも龍馬も何も知らなかったことにしようね」
 母代わりの乙女は旅の支度万端を整え、握り飯を作ってくれた上に当座の路銀も工面してくれた。
「これは見つかると困るからな。それに雨だし」
 乙女が油紙に包んでくれた家宝の刀と、短刀と小銭以外の持ち物全部を入れた旅行李を背に春三月の小雨降る朝、悲壮な覚悟で龍馬は家を出た。
 結果的には、あの時の選択は正しかった。あの日から龍馬は今もまだ旅の途中にいるような気がする。あとで姉の乙女から聞いた話では、龍馬の脱藩による家出の後で、兄が大金を使って必死で運動し、龍馬が各地の情報を集めて、それを報告する隠密の役割をするという密約を目付として参政の許しを得、一族にその罪が波及しないようにいたと聞いた。周囲には藩主が許可をしたかのように噂を流したのも兄らしいやり方だった。
 龍馬自身は、はっきりした目的のないまま、新天地を求めて遍歴の旅に出て五か月後の八月、蝉の鳴く音も騒がしい天草の原城跡に立ち寄った。
 原城は島原半島の南部にあり、有明海に張り出した丘の上にあった。
 島原の乱の悲劇は、長くこの地を統治した有馬氏が日向国延岡城に移り、元和二年(一六一六)に松倉氏が転封されて来てから始まっている。一国一城令を理由に既存の城を廃城とし、島原城の拡大増築を図った新城主は、貧しい農民の内情も考慮しないままに無茶な年貢の取立てをしたのと、長く黙認されてきたキリスト教の弾圧を厳しくしたために起こった百姓一揆だった。その結果が一揆を起こして原城址に立て篭もった三万七千人にも及ぶ農民の皆殺しという残虐な結果になり、その責任で藩主の松倉勝家が大名としては前例のない斬首という刑を執行されたのだ。
 龍馬はここに立って人と人が殺しあう悲惨な戦争の愚と無情と無意味さを考えずにはいられなかった。
 そこで偶然、銃弾で作った鉛のクルスを拾った。その小さな鉛のクルスが龍馬の人生を大きく変えたのだ。そのクルスを握った瞬間、思い出すだけでも身の毛の逆立つほどの恐怖と興奮、天草四郎が自分に乗り移ったような輪廻体験を龍馬は体感している。だが、こればかりは人に説明しても信じて貰えないし、その事実も軽々しく口に出来ない。それに、その体験を語ることは、御禁制の異教に帰依したとみなされ、自分自身のみならず一族が断罪に処せられる可能性がある。そうなれば、脱藩して家族や親族に迷惑をかけた以上に、一族壊滅という最悪の結果を招くことになる。この時知った超常現象は絶対に口には出せないが、天上のイエスなる人神が、世の中にこの身が必要と認めてくれるならば、今、ここに死すとも百年後、二百年後の世に蘇らせてくれるだろう。
 多分、この輪廻転生を信じたからこそ、原城で何万人もの人が惜しげもなく命を捨てることができたのだ。
 自分が密かに信仰する異国のヤソなる禁断の宗教によると、人の霊魂は不滅であり、死して後いつか蘇るという。龍馬はそれを信じると死が恐ろしくなくなると聞き、そんな都合のいい宗旨なら尚更信仰を深めたい、と思った。
 元冶元年(1864)十月下旬、江戸表まで同行した沢村惣之丞と別れ、赤岡村の元作を訪ねるべく龍馬は密かに土佐に逆戻りした。龍馬が赤岡村の元作に拘るのは、ヤソに帰依したい思いと同時に常に笑顔を絶やさないあの元作の精神的な強さの源泉を突き止めたかったのだ。土佐から江戸までの行程は約一ヶ月余、それをまた折り返すなどは頭のいい者からみれば奇妙かも知れないが、これで龍馬の秘密が未来永劫に誰にも知られずに済むのであれば、宿や草鞋代、足の痛みなどはさほどの負担でもない。



5、 三十歳、赤岡村の思い出


添付ファイル: filekaiundou.jp_ryoma_047.jpg [詳細]

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