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新選組・残照
2、 柴田道之助

3、 姉ノブの嫁入り先



 歳三は、歩きながら考え事をするのが好きだった。何か考えていると足が軽くなり時も忘れる。
 ここのところ歳三は、積極的に行商先を多摩から甲州、武州、上州へと広げていた。
 商売の広がりと剣の修行が目的だから、いくら歩いても苦にならない。日が暮れれば旅籠だけ
でなく木賃宿、神社の軒下、大木の根元、どこでも眠れるから気が楽で、長旅も好きだった。
 なにしろ、歳三が行く先々の剣術道場全てが「見込み客」で、歳三自身が立ち会って怪我人を
増やせば、それだけ家業の「石田散薬」、義兄佐藤家の「虚労散」が売れることになり兄の喜六・
ナカ夫婦、義兄の彦五郎・ノブ(実姉)夫婦も喜び、売上に応じて分け前を貰うから歳三の貯蓄
分も潤い、気分もいい。それも歳三の剣を強くした一因に違いない。 歳三が各地を巡るのは剣
の修行と薬の拡販が両立し、しかも学ぶことが多くて一石三鳥だからだ。
 歳三は呉服屋も好きだったが、この仕事の方が性に合っているのを感じていた。
 ただ、商売用の台帳には剣術道場の名は書かない。兄夫婦に、剣術ばかりにのめり込んでいる
と思われるのが何となく気が引けるからだ。兄夫婦の喜六もナカもおおらかで、歳三の行動をい
ちいち詮索することなど全くない。ただ、歳三の行く末を心配してくれているのは確かだった。

 文右衛門に貰った酒は、日野に立ち寄って姉のノブに「虚労散」の回収金に加えて、義兄彦五
郎の晩酌にと手土産にし、空いた通い函に「虚労散」を詰め込んで石田村に帰る。こうして歳三
は、各地の町村にある雑貨屋で石田散薬を委託販売している形にして辻褄を合わせている。
 今、振り返ってみると自分は父の顔も知らず、母をはじめ家族の不幸を何度か見てきたが、身
内や友人に恵まれて救われている。歳三は子供の頃から、過去を省みることから今後の道を探る
習慣がついていた。何度か同じ失敗を繰り返しているからだ。
 思い出には嬉しさより、ほろ苦いことの方が多いような気がする。

 歳三は天保六年(一八三五)五月五日、多摩郡石田村の豪農土方家の末っ子として生まれた。

父の義諄(よしあつ)は、歳三が母親エツの体内にいる時に四十二歳で病死したため、親子の対
面もないから顔も知らない。知人や家族の話から温厚な人柄で、村人だけでなく近隣の村々の全
ての人から好かれていたのがよく分かる。それだけに、その早すぎた死が惜しまれてならない、
と村の人は誰もが言う。
 母のエツも病弱で、歳三がようやく甘えを知った五歳のときに病死した。振り返ってみると、
苦労ばかりで幸薄い母の一生だった。歳三は辛過ぎて泣く気にもなれなかった。父母の間に生ま
れた子は十人、兄二人に姉三人が亡くなっていると聞き、歳三はいつも仏壇に手を合わせ冥福を
祈っている記憶だけがある。身内の死は悲しいことだが慣れ過ぎるのも辛い。
 残された兄姉は自分を入れて五人、家族は悲しみを乗りこえて気丈に生きていた。
 長男の為二郎は歳三より二十三歳年上で、生まれつき全盲だったため家督を次男の喜六に譲り、
悠々と琵琶を奏でたり俳句を愛でたり歌を詠んだりと自分なりの道を探し当てて暮らしている。
 四姉のノブは歳三より四歳上だが、弘化二年(一八四六)に十四歳で日野の寄場名主・佐藤彦
五郎に嫁いでいる。嫁ぐ前はトクという名だったが、嫁いでからノブと名を変えている。
 彦五郎の母は歳三の父の妹で、ノブと歳三には叔母方にあたるから、彦五郎とはノブも歳三も
いとこ同士で何の遠慮もない。歳三からみれば八歳上の彦五郎は実の兄のような存在でもあった。
 彦五郎は、代官・江川坦庵の命によって天保八年(一八三七)に、当時十四歳だった隣家の佐
藤芳三郎と同時に、十二歳で父親との世代交代を実現している。
 下佐藤と呼ばれる彦五郎は、二千五百石といわれる広大な日野郷四十四町村の寄場名主を、隣
家の上佐藤の芳三郎と協力して月の半分づつ交代で勤めた。これは、若い二人にとって大変な難
業であっに違いない。それを見越したこの人事は、出自の違いもあって祖先が抗争を繰り返して
きた両佐藤家の、宿場の中心を焼く大火での惨事や怨念をも水に流し、若い二人が力を携えて多
摩の発展に尽くすようにと考えた代官・江川坦庵の深い配慮のある妙案だった。こうして、過去
に問題のあった日野宿名主の両佐藤家が協力し合うようになって、日野郷だけでなく多摩を含む
武州一円の治安と団結力にも好影響をもたらしていた。
 その彦五郎も今は二十七歳、火事のどさくさに知人に祖母を惨殺されたときの自分の無力さを
恥じて道場を自邸に開き、天然理心流師範・近藤周助を出稽古に招いて自ら剣技を学び、村人達
にも剣を学ばせ、時折立ち寄る歳三にも天然理心流を学ぶように薦めた。これには子供時代から
勝ち気の歳三も困った。まさか義兄を打ち負かすことなど出来っこないからだ。
「薬売りに剣術はいらん」
 歳三は素っ気なく言い、渋々防具をつけて彦五郎の相手をするが殆ど打たれるままだった。
 そんな歳三を宗家の近藤周助が一目見て、只ならぬ気配を感じたらしく、愛用の木刀を歳三に
与えて「気が向いたらな」と言った。
 それから、暫くして歳三は周助の教えを受けた。木刀を貰った手前があるからだ。
「切紙までは、初歩の基本技から学ぶように」
 周助は歳三に型から教えた。
 しかし、始めのうちこそ基本の五つの型に打ち込んだ歳三だが、同じことの繰り返しに飽きて
か、木刀だけは有り難く頂いて、近藤周助が出稽古の日は佐藤家に顔を出さなくなった。
 彦五郎の知らないところで充分に剣術修行をしている歳三としては、初心者に混じって木刀の
素振りだけをやらされるのは面白くない。彦五郎から勧められた入門も、何とか逃げ回って先延
ばししている。歳三にとって、修行年月や師範の心証で決まる剣術の免状などは紙切れでしかな
い。
 江戸の町道場が安易に目録を出すのは、入門者が仕官を有利にするために必要で金を積むから
だと聞いたことがある。歳三は、そんな出世目的の剣術より、実戦で真剣で斬り合った時に勝ち
抜ける剣術を身につけることが目的だから免許目録などは不要だった。
 それにしても歳三の前途はまだ何も見えていない。
 五兄の大作は、つい最近、北多摩郡下染谷村の医家に養子に出て、糟谷良循などと名乗って立
派な医者になると言っている。家を継いだ次兄の喜六は歳三より十六歳上のしっかり者で、世襲
名の隼人を継ぎ、土方隼人義巌(はやとよしかね)という立派な名があるが、誰もが幼名の喜六
と呼んで慕うから、歳三もこのまま「喜六兄」と呼び続けることにしている。
 歳三の家は代々名主を勤め、二代前に名主を親族の土方分家に譲ったのだが、その名主家の土
方伊三郎の娘ナカを喜六が嫁に迎えることになった。派手な祝いの席で、歳三は即興の剣舞など
をして列席者を喜ばせたが、心の中では複雑な思いをしていた。喜六は自分より十歳若い愛らし
い娘を嫁にして心弾む日々を迎えたのだが、ナカにとっては自分と六歳しか違わない大きな図体
の義弟がいて、近隣に鳴り響くガキ大将だったから始末に終えない思いだったに違いない。
 それでも歳三にとって兄嫁のナカは、姉のノブが嫁に出ていなくなった寂しさを埋めてくれる
唯一の存在だった。だが、その歳月は長くはなかった。若い兄嫁が身ごもり、歳三の面倒まで手
がまわらなくなったからだ。やがて、愛らしい男の子が産れて、連日のように祝い客が訪れるの
を歳三も喜び、庭の案内をしたり履き物の整理をしたりと気配りをして家の仕事を手伝った。
 作助と名付けられた赤子はすくすくと育ち、一年もたたないうちによちよち歩きをして家族を
喜ばせ、歳三はすっかり作助の遊び相手として重宝な存在にはなっていたが毎日が退屈だった。
 そんな気配を感じてか、兄の喜六がある日「奉公に出てみるか?」と、歳三に言った。
 これを断る理由は何もない。ただ、歳三は頭の中で武士の道が遠のくのを子供心ながら残念に
感じたのは覚えている。



4、 丁稚奉公


添付ファイル: filekaiundou.jp_ssg_003.jpg [詳細]

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