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縄文幻想
第三章  絶体絶命

縄 文 幻 想

第四章 縄文村

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19、歓迎

 青い目で髭面の長身のクリス、その背に負われている美香、立派な体格の原始人トシ、この三人が崖下にたどり着いた。
 トシが崖上を見上げて口に手を合わせ、フクロウの鳴き声を出すと、すぐ崖上からもフクロウの声が戻った。
 ものの一分ほどで垂直の崖上から約三十センチ毎に結びコブの付いた縄ロ−プが投げ下ろされ、夜明け近い黎明の中で黒ずんで見える男の顔が覗き、「ヤ−」と声を上げて手を振った。
 同じく「ヤ−」と応えたトシが、片手に火を消した松明と杖を持ったまま裸足の親指と二指で結びコブを挟み、四十歳代半ばとは思えない身の軽さで巧みに断崖を登り切って、上から手を振るとクリスも手を上げて応えた。
 美香は「自分で登ります」と、言ってクリスの肩を叩いて意思表示をしたが、振り向いたクリスの髭だらけの顔からは、通じたのかどうかさえも読み取れない。ただ、大丈夫か、とでも言いたげな青い目を見ただけでも美香は安心し、改めて背中にしがみついた。
 本音で言えば縄ロ−プを一人で登る自信もなかったのだ。
 クリスはしっかりと片手で背中の美香を大きく揺すり上げ、杖を美香に預けると片手でロ−プを掴むと同時に、五十キロ以上もある美香を背負っていることなど全く気にしないかのように身体を宙に浮かせて、十メ−トルほどの高さをまるで軽業師のような身軽さで瞬時に登りきった。
 数人の男が「ヤ−」と言って出迎えると、クリスも息も切らせずに「ヤ−」と手を振り、そこで腰をかがめて美香を下ろした。
 美香も真似して「ヤ−」と呼びかけてると、男たちが喜んで「マサ」とか「ヤス」などと名乗り、それで安心した美香が「ミカ」と何気なく名乗って自分を指さしていた。
 見回すと、鬱蒼とした原生林の中には小さな広場があり、その向こうには縄文の竪穴住居が見える。
 美香の目は驚きに見開いた。
 数えると、森の樹木に寄り添うように、十五棟もの住居が円錐型や三角屋根やあるいは高床式と、それぞれの格式を示すように点在しているのが見えたが、これだと、上空からは樹林に隠れて見えないから、世間に知られずに生き延びたのかも知れない。
 熱い興奮で美香の血が騒ぐ。やはり噂は嘘ではなかった。
 ここには、間違いなく、奥羽山脈に痕跡が残されていたという伝説の縄文村が実在している。
 青い目のクリスは、男たちを従えて広場を横切って集落に辿りつくと、トシが口に手を当てて「ホ−、ホ−、ホ−」と鳴いた。
 すると、朝餉の支度が匂うあちこちの住居から老若男女の縄文人が五十人近くも現れて、クリスと美香を囲み、夜明けの近い広場で「ヤ−、ヤ−」と叫びながら、両手を上下に振りながら輪になって喜びの舞いを踊り、一人一人が自分の名を名乗りながら、美香の手にタッチして歓迎の意を示してくる。美香はその都度「ミカ」と、言って軽く頭を下げ続けた。
 各人の名前や顔を記憶できるほどの余裕はないが、トシが妻子なのか、肩を抱いて紹介した三十五歳前後のキヨと十八歳ぐらいの若いエリという女の、底抜けに明るい笑顔が美香の印象に残った。
 美香は嬉しかった。これで、夢にまで見た縄文人としての暮らしが体験できる。
 トシが頃合いをみて「ヤヤ−」と叫んで手を振ると、美香を囲んだ踊りの輪が解け、それぞれが家族や隣人と、身振り手振りで短い単語だけの会話をしながら自分の住居に向かって、のんびりと歩いて行く。これから、朝食の支度に取りかかるのだろうか?
 クリスがトシの肩を叩いて美香を預け、何事もなかったかのように、村に一棟だけある高床式の住居に向かって振り返りもせずに立ち去った。
 すでに、夜の闇は拭われたように消え、朝もやが深い森を包んで流れてゆく。いま、縄文の村の夜明けが始まろうとしていた。
 トシが美香を連れて、自分の住まいらしい竪穴式住居に入ると、先刻、踊りの輪の中から紹介されたキヨとエリが、喜んで二人を出迎え、キヨがトシに、エリが美香に抱きついた。
 キヨはすぐ調理場らしい部屋の北隅に向かったが、美香にしがみついたエリは、すぐには離れない。
 エリは甘えるように美香の頬から口に唇を這わせ、そのまま慣れた仕種で美香の口の中に舌を差し入れてくる。
 縄文人はおおらかとは聞いていたが、これが挨拶なのか……ためらいながらも美香は、エリに応えて舌を吸い舌を絡めた。
 一瞬、美香の頭の中に、これから先への妄想が広がってゆく。
 だが、あっさりとエリは美香から離れてキヨのいる部屋の隅に向かった。やはり、あれは単なる挨拶だったのだろうか?
 見ると、キヨが調理場らしき石床の上に並べた山菜を石刀を用いて刻んでいる。キヨとエリは朝食の支度を始めていたのだ。
 トシが、植物の繊維で編んだ縄文衣装を用意してくれたが、どこで着替えていいかが分からずにそのままにしていると、無理には勧めずに、囲炉裏の脇に座るように手真似で示し、美香が座ると自分も腰を下ろして竹を曲げたヘラで、湯気をたてて煮えている土鍋の汁を掬って味をみて頷き、土皿に具を乗せて運んできたエリを見て左手の親指と人差し指を丸めて「ウマ」と言い、味加減の良好なことを伝えた。それを見て、昨日の朝食以降、何も食べていない美香の喉が鳴った。
 やがて、囲炉裏を囲んでの朝食が始まった。
 まず、果実酒が出た。
 美香が口にしてみると、多少渋みが強いのとブドウの皮などの滓が口に残る以外は、サッパリとした口当たりのいいワインで、食前酒としては申し分のない味わいだった。
 トシが、手真似で山ブドウの房を木からもぎる真似をし、部屋の隅にある土カメを指さして、そこでさらに「ミツ」と言うと、エリが両手で空を飛ぶ真似をしたので、「蜂蜜なのね?」と聞くと、トシだけ頷いて、それも土カメに入れてかき回して蓋をし、両手を合わせてそこに頭を乗せて目を閉じたので、おぼろ気ながら「蜂蜜と山ブドウを混ぜて寝かせて発酵させた」ということが理解できた。
 酒に強い美香ではあっが、空腹の身にはかなり効く。
 それを本物の縄文土器で飲むのだから贅沢なことだった。美香は遠慮しながらも二杯目を所望していた。
 キヨが部屋の北側の隅から土鍋に煮込んだ団子と青菜を運んできて全員それぞれの茶碗とお皿との中間のような土器に配った。
 恐る恐る団子を口に入れ、味わうように食べてみると、岩塩で味付けしたのか浅い塩味で、ナッツの香ばしい味と上品な甘味が口の中に広がって、意外に口当たりがいい。
「このお団子はなにで作るの?」
 美香の問いが理解できたのか、エリが「クリ」、キヨが「クミ」と内容を言い、トシが「ミツ」と言った。
 美香が思わず「栗なの?」と聞くと、エリが立ち上がって蔓で編んだ籠に入った食品の原料を運んで来て美香に見せた。
 籠の中の物を一つ一つ手のヒラに乗せて美香が確かめてみた。
「これはドングリね?」
 エリが「クリ」と言い、キヨが頷いたところを見ると、ここではドングリをクリと呼ぶらしい。次に、本物の栗があることに気づいて、それを示すと、やはりエリが「クリ」と言いキヨが頷く。
 これで、この種類は全てクリと呼ばれることが分かった。
 すると、美香の隣に座っていたトシが籠を覗き、固そうな殻を指さして「クミ」と言う。「クミですか?」と聞きなおすと、それを取り出したトシが囲炉裏の灰を囲んで置かれている石の上に置き、手に持った石で無造作に上から叩き、殻の中の小さな実を取り出して美香に手渡した。
 それを口にした美香が頷いて「クルミ?」と聞くと、エリが首を振り、トシと同じく「クミ」と言い、キヨが楽しそうに笑った。
 あとは「ミツ」だが、これは食感からもハチミツの甘味と推測できる。美香は、残った半分を口に入れてそれを確かめた。
 これで、これが面倒にもクルミとクリとドングリを粉にして、ハチミツを加えて練った団子であることが分かった。
「ドングリなんてタンニンが強くて食べられないのに」
 美香の呟きを聞いたエリが、意味が分からないのか、「?」という表情で見たので、美香が顔をしかめてドングリを口に入れる真似をすると少しは通じたらしく、ドングリを手に持って石で潰す手真似に続いて、腕を回して荒挽きする仕種をした。
 さらに、その粉を袋に詰めて「ミズ」と言い、片手で上流から下流に水が流れる仕種をしたので、ドングリの粉を荒く潰して袋に入れ、水に晒すとアクが抜けるのが理解できた。
 それからも、エリが少ない単語と身振り手振りで、美香の質問に応えるのを、キヨとトシが微笑みながら楽しそうに見ていた。
 美香も、縄文人がドングリのアク抜きに、水に晒すか灰を用いるなど何種かの方法を用いていたことは知っていた。しかし、そのどの方法もが根気のいる難しい作業であることだけに、実際に教科書通りの作業で作られた料理を口にしている。これだけでも美香は感激した。
 その団子を、果実酒を飲みながら食していると徐々に浮き世離れした気分になって、つい昨日までの欲と金と欺瞞の世界が薄汚れて見えるから不思議なものだ。
 さすがに夜明けに村に入ったばかりの疲労もあってか、酔いが早い。美香は陶然と快い雰囲気に酔った。
 エリが、湯気が立つヒエ粥を容器に盛って運んで来た。
 これもまた薄い塩味だったが格別に美味だった。
 ヒエ粥の中にはキヨが刻んでいた山菜と、鮭のバラ身がふんだんに入っていて味に深みがある。思わず「おいしい!」と美香が声を上げると、言葉が通じたのか、三人が嬉しそうに頷いた。
 美香は、串刺しの鹿の焼き肉も「美味しい」と、小骨までを残さずに食べて三人を喜ばせている。
 つぎに、エリがまた土瓶からクッキ−に似た菓子風の食物を持ち出して来て、全員に二ケづつ配った。
 それを柿の葉茶を飲みながら食べるらしい。
 その菓子を口に入れてみると、微かに栗の甘味とクルミ風味に、玉子の味が効いていた。
「ニワトリのタマゴね?」
 と、美香が聞くと、これは意味が通じたらしく、エリが天井を指さして「ホ−ホ−」と鳴き、弓で射落とす真似をした。これで、山鳩の玉子であることが分かった。
 食後には野イチゴとアケビという、ぜいたくな朝食だった。
 美香の正面に座っていたエリが、美香に向かって手を開いた。
 何気なく見ると、開いた左手を内側に向けまま壁を作り、右手の指先でそれを指して「フフッ」と笑い、右手を広げて自分の左の乳房の上に運び、そこで指を握った。
 まさか? 縄文人が身振り手振りで話すのは理解したが、これでは手話ではないか? エリは美香を試しているのだろうか? これだと、食事は終わりだが、ラストに動物の乳を飲みますか? と美香に聞いたことになる。
 酔った勢いで美香も応じてみた。一度頷いてから、両手を開いて手のひらを上に向けた状態で上下させ「温めてちょうだい」という意思表示をしてみると、驚いたことにエリが頷いた。
 縄文文化が、手話にまで及んでいるとは思いもよらなかっただけに美香は戸惑っていた。
 エリが同じ動作をトシとキヨにも向けると、トシは美香を見て頷き、キヨは握った右手の親指と人さし指だけを立てて顎の下で手のひら側をエリに見せ、両手を握って胸の前で拳を合わせるように動かした。なんと、トシは美香と同じ注文を出し、キヨは果物のジュ−スを生のままで飲むと伝えている。
 ふと、美香は基本言語と手話は、縄文以来、変わることなく伝わっている、と、縄文研究会の師から聞いたことを思い出した。
 縄文語では、髪はカミ、鼻はパナ、目はマ−、唇はピル、頬はポポ、手はテ−などと聞いた記憶が甦ってくる。
 エリがミルク状の液体を土瓶に入れて運んで来て、そのまま、燃えている焚き火の薪の間に上手に置いた。キヨはエリが運んで来た果汁を目を細めて旨そうに飲んでいる。
 美香がその口許を見ていると、キヨが「ウマ?」と言って、美香に勧めたので、一口飲んでみるとメロンの味がする。
 とすると、この縄文人達はメロンの栽培もしているのか?
 キヨ以外の三人は、それぞれの土器に注いだミルク状の飲み物を口にした。
 美香が「牛乳?」と聞くと、エリが意味が分からないというように首を振り、頭に指を立て「メエ−」と鳴いた。これでこの飲み物が山羊の乳であることは分かったが、臭みがない上に甘味があるのを怪訝に思っていると、キヨが「ミツ」と言って土器を覗いた。なるほど、蜂蜜入りの山羊の乳であることは分かったが、蜜蜂まで飼っているとしたら、この縄文村の文化度はますます侮れない。
 長い時間をかけての朝食が終わった。
 美香にとっては、縄文第一日目から思いもかけないカルチャ−ショックの連続でもあったが、歓迎されたことが嬉しかった。
 ここは明らかに縄文人の村だった。

20、佐賀達也

 この日の朝刊、テレビ、ラジオなどは一斉に、昨日の土曜日に発生した、女子アナを代表する人気絶頂の河田美香の失踪事件を大きく取り上げていて、身代金の金額は明らかにされていないが、数億という金額で日東テレビに請求が出されているらしいことなどを、憶測を交えてまことしやかに報道していた。
 しかも、美香の失踪を大々的に扱うどのマスコミも、加納二郎の扱いは軽く、名前が載っても顔写真がなかったり、「その他一名の男性も行方不明……」という程度のお粗末な記事だったりする。
 なかには、加納のことには何も触れていない新聞もあり、河田美香失踪事件が巻き起こした波紋の大きさを浮き出させていた。
 県警本部から応援に駆けつけた機動隊員も、早朝の捜査会議終了後は、署の刑事と手分けして聞き込みや探索に出動していたが、まだこれといった情報はない。
 この日の友美は多忙だった。
 まず、祭りの参加者が昨日造って、夜中にかけて焼き上げた縄文土器の品評会と審査の状況をレポ−トしたり、絶叫大会では自分も絶叫してみたり、ライブで紹介役をしたりと多忙な一日がまたたく間に過ぎてゆく。
 二時過ぎに本部のテント内で、大会役員でもある大太鼓保存会の田村らと遅い昼食をとり、赤米と南部牛に山菜の幕の内縄文弁当を食べながらもさり気なく取材意識が働く。
「あんな大きな太鼓、どこで作るのですか?」
「鹿角で作ったのもあるが、ここらじゃ、鷹巣のツヅレコ太鼓以上の物はないすからな。大概は、ここから五十キロばかり離れた鷹巣町の綴子地区の祭り太鼓屋に注文してますよ」
「その大太鼓は、いつごろから作ってるんですか?」
「かれこれ七百年以上も前からで、はじめは、干ばつの多いこの地方の雨乞い神事に使うために作ったとの謂われがあるそうです。
 雲の上の竜神さまに聞こえるようにと、天まで届けとばかりに作った大太鼓ですからな。徐々に大きくなって、一枚の牛の皮を使った大太鼓では世界一というのもあって、ギネスにも載ってるそうですからな」
「ギネスにですか?」
「一番でかいのは直径が三・八メ−トル、胴の長さが四・五メ−トル、重さが三・五トン、なんと太鼓一つの重さが三千五百キログラムですぞ」
「すごい! それじゃあ、壊れたら修理も大変でしょう?」
「太鼓の皮は、少しの傷でも叩けば広がりますし、胴も秋田杉などを使いますが長年の間に張りが緩んだり、歪みやひび割れが出来たりしますから、年中補修を重ねて調子を整えてるんですよ」
「大太鼓の加工や修理の専門店もあるのでしょうか?」
「いや、太鼓はそれぞれ癖がありますから、作ったところに持ち込まんといかんでしょうな」
 友美はそれから何軒かの大太鼓製造業者の電話番号や、代表者の名前や性癖までを田村に教わった。
 大太鼓に美香を詰めて拉致したとすれば、外見からは蓋や空気穴が見破られないように細工しなければならない。と、すれば専門の業者に依頼したに違いない。これが突破口となる可能性もある。
 友美は、身体が空き次第に太鼓屋を訪ねようと思った。
 島野と立石加奈と共に撮影に伴いて歩き、縄文衣装やTシャツの販売店、名前だけで中身はほとんど普通の品と変わらない縄文ダンゴに縄文ソバなどのテント張り売店に次いで、スト−ンサ−クル館特設の縄文フェスティバル記念品売り場を取材し、売れ行きの凄さに驚いて、購入者の声などを聞いてるうちに、場内放送がマスの掴み取り大会の開始を知らせを聞いて、撮影スタッフと一緒に移動した。
 縄文広場と道路を隔てた野中列石脇の空き地では、大なビニ−ルシ−トを木枠内に引き詰めて造った臨時のプ−ルに放したニジマスやイワナなどを子供たちが膝までを水に浸かって追い回す「渓流魚の手掴み大会」が行われようとしていた。
 膝上までズボンの裾を上げた子供たちが、特設プ−ルを囲んで係の合図を待って勇み、それをテレビカメラが撮影する。
「いま笛が鳴って、いっせいに子供たちが特設プ−ルに走り込みました。早くも転んで水浸しになる子が続出しています……」
 子供達がはしゃいで暴れるから、マイクを持つ友美の顔や衣装にも水が撥ねる。
 ふと友美は、こんな子供の遊びはテレビに映るのも一瞬だけだと思うからバカらしくなって喋りをやめ、逃げまどう川魚を掴もうと必死になる子供達に声援を送る側にまわっていた。
 その結果、友美が応援した小学四年生の女の子が四十五センチという大型のニジマスを掴み獲って優勝し、賞状の他に景品のDVDプレ−ヤ−をゲットした喜んでいるところをインタビュ−して、一応のケリをつけ、あとは閉会式までお役御免となった。
 そこに石脇警部が来た。
「佐賀さんから、友美さんが携帯に出ないからって、ワシにかかって来たす、一段落したら掛けてくれ、とのことで……」
 と、声をかけてきた。
 あわてて、切ってあった携帯電話の電源を入れ、いつも不要な用件が何件か溜まっている留守電を聞いてみる。
 まず鬼のデスクこと加川編集長からは、カン高い声で、「ファックスが来ないぞ、暇なら帰って来い!」
 報告がたった半日無かったからって怒鳴るのは大人げない。
 数件のどうでもいい伝言の後に、達也の喚き声があった。
「いつまで電源を切ってるんだ! 赤城情報で、そっちに創生界の残党が潜り込んだらしい。凶悪だから気をつけろ」
 この留守電は午後三時に受けていた。
 一体全体、暴力団がどこにいるというのだ。
 時計を見ると、すでに午後四時を過ぎていている。
 警視庁刑事部四課の警部補の赤城直孝は、まだ新婚ほやほやで達也と友美がその結婚式の仲人を務めている。その赤城からの情報なら間違いはない。創世界は政治結社の仮面を被った暴力団だから始末が悪い。
「石脇さん。暴力団の創世界が来てるんですか?」
「そういえば、妙な連中が十和田の奥に入ったらしいすな。佐賀さんは、そろそろ来るのかね?」
「ちょっと待ってください。携帯に電話してみます」
 友美が電話をすると、珍しく達也がすぐ出た。
「達也さん。どこにいるの?」
「急にスケジュ−ルが変わった。今日一日はDAT社の岡島専務の警護を頼まれてな……」
「だから、どこにいるの?」
「いま、滝沢村に寄って盛岡に戻って来たところだ。盛岡の開運橋際のルイスってホテルにいるんだが、石脇ダンナと六時に来られるか? 事件のカギがあるかも知れないと伝えてくれ」
 DAT社の岡島といえば、テレビ放映の企画者でもある。ぜひ、会っておきたい顔でもあるが、まだ仕事が残っている。
 達也の大声が、傍にいた石脇にも聞こえた。
「パトカ−で飛ばすかね?」
 今度は、その声が達也に聞こえたらしい。
「すぐ来るのか?」
「盛岡まで行ったら、何があるの?」
「岡島が滝沢村で進めている縄文祭りのテレビ放映のことだ」
「そんな企画があったの?」
「今度の拉致事件のために、予定が狂ったらしくてな」
「なにが狂ったの?」
「それが中止になると、岡島は経済的に大変らしいんだ」
「それと、あなたの仕事とどう絡むの?」
「岡島のボディガ−ドだって言ったじゃないか」
「岡島さんが何で?」
「滝沢村の件で、脅迫される立場になったんだろうな」
「じゃあ、美香の救出はどうするのよ」
「そんなの知るか、それもこれも勝手に会社が決めたことだ」
「ひどい社長ね。稼げれば何でも引き受けるのね?」
「オレが明日にでも、その女子アナを救出すると見たんだろ」
「そんなの無理よ。まだ、何の手掛かりもないんだから」
「岡島の警護は今日だけだ。それに専念すればすぐ終わるさ」
「また、そんな簡単に……」
「女子アナを浚ったヤツらは面が割れたか?」
「ヤクザ風の男で、一人は小指がなかったそうなの。これから太鼓屋を当たってみようと思ってたのよ」
「それは後回しだ。そこに石脇旦那がいたら出してくれ」
 石脇に携帯を手渡しても、達也の声は友美の耳にまで届く。
「警視庁の赤城からの報告だと、バラの花束を売ってる店は、鹿角市から五十キロ圏内だけでも三十軒はあるし、盛岡や黒石まで入れたら大変な数だろう? 花屋の捜査はどうなってるかね?」
「盛岡まではまだだが、松尾八幡平から小坂、大館までの花屋は軒並み調べたが、鹿角市周辺で昨日と一昨日の二日間で一万円の花束を買ったのは、女が五人で男が二人、うち六人は身元が分かった。
あとの一人は花輪のキュ−ピット店に現れた女で、この女が事件のカギを握ってるとみて、いま追ってるが……」
「どんな女だね?」
「サングラで顔を隠してたが、少し茶髪の美人だったそうすよ」
「男は一緒か?」
「さあ。そこでは女だけと聞いてるがね」
「分かった。結局、その男を見たのは立石とかいうテレビ秋田のADだけだけってことかね?」
「そうすな。ところで、ワシもそっちへ行った方がいいかね?」
「ああ、そうしてくれ。岡島がご馳走したいらしいからな」
「佐田刑事の運転ですから、三人ですぞ」
 結局、島野と相談して、閉会式は撮影だけで編集時に局アナのコメントを入れるということになり、友美はお役御免になった。
 佐田刑事の運転する鹿角署の面パトが赤色灯を回転させ、雲一つない青空の下、岩手山から奥羽山脈の緑濃い景観を右手に眺めてハイウエイを飛ばして盛岡に向かう。
 車の窓から眺めると、過ぎ去る草原にはすでに風に揺れるススキの穂先の白い群れが、秋の気配を感じさせていた。

           

21、縄文の湯

 美香は幸せだった。
 食欲が満たされると睡魔が襲ってくる。
 大きく欠伸をして、あわてて口を抑えた。拉致事件に巻き込まれた昨日から、まともな眠りをとっていない美香が眠くなるのも無理はない。
 不眠不休で山道を歩いてきたトシも朝食後の仮眠をとるのか、キヨと並んで、木の繊維で編んだネットに敷きしめた干し草の上に裸になって横たわっている。
 それを見たエリが、当然のように身に付けた編み布の衣類や下着を脱いでから、トシ夫妻とは反対側の隅に美香を誘い、衣類を脱ぐように手真似で示している。美香としてみても、郷に入れば郷に従えで、縄文の世界ではこのようにして昼寝をするのかと思えば、遠慮するのも変だし恥じらうのも失礼のような気もする。
 エリが手真似で勧めるままに、よく乾燥した干し草のしとねに横たわり、編み布の上掛けをかけてもらうと、それが合図づもあるかのように美香はすぐ深い眠るに落ちていった。
 やがてノンレム睡眠からレムに切り替わったあたりで美香は夢を見た。それは、官能に溢れた夢で、荒く熱い自分の息で目覚める夢の中の夢だけに、美香には夢と現実の区別がつかない。
 嬌声に気づいて目を凝らすと、囲炉裏を挟んで反対側の夜具の上では、仰向きに横たわったキヨが、のしかかっているトシの両肩に大きく広げた足を乗せ、おおらかに声を上げて交わっているのが見えた。しかし、これが夢なのかどうかは定かではない。
 ふと気がつくと、美香に密着した若いエリの太ももが腰から割り込み、美香の前にまわした手が微妙な動きで美香を狂わせる。
(これも夢なのだ)
 こう自分に言い聞かせた美香は、もう恥も外聞もなくエリに抱きついて体を密着させ、喜悦の時を自分から求めて満たすとまた睡魔の誘惑に乗って熟睡の闇に落ちてゆく。
 どれほどの時を経たのか、美香は快く目覚めた。疲労は夢を呼び夢は疲労を減じるという。やはり、あれは夢だったのか。
 すでに、昨日の嫌な出来事は頭の中から払拭されていて、身体の疲れも完全に消え去っている。
 仕事に出掛けたのか、トシの姿はなく。キヨとエリはとうに支度をして美香の起きるのを待っていたらしい。
 エリが、外を指さして外出するという意思表示をし、美香の前に自分たちが身に着けているのと同じ縄文衣装一式を揃えた。若い鹿皮らしい柔らかい下着を身につけると、意外にフィットして肌触りがいい。その上に祭りで着たような縄文衣を羽織ると、麻の感触が素肌にサラっとして気持ちよく、花柄をあしらったデザインもかなり優れていて、現代人以上のセンスのよさが感じられる。
 すっかり縄文人になりきって裸足になった美香は、二人に誘われて外に出ると、そのまま集落から谷に出る坂道を下った。
 土や草の感触が快く、石を踏んで痛いという感覚さえ忘れていただけに新鮮だった。
 やがて瀬音がして湯煙が見え、渓流脇に岩に囲まれ た浴槽が湯気に包まれて見え隠れしている。
「オンセン?」とエリに聞くと、ただ「ユ」とだけ応えた。
 ここでは余分な言葉を必要とせず、誰もが簡単な言葉と身振り手振りで感情を伝えている。
 キヨが、タオル代わりなのか持ってきた大小の布切れを美香に渡し、自分はさっさと岩の上に着衣を脱いで、おおらかに浴槽の縁に行き、木桶で掬った湯で、豊満な身体を流してから、少し盛り上がっている岩を大胆に跨いで湯船に身を沈めた。エリも同じ動作で温泉に浸かってから美香を招いた。
 美香も同じ行動でそれに続こうとして岩を跨ごうとすると、湯気でよく見えなかったが、すぐ目の前の湯には五、六人の男女が賑やかに会話を楽しんでいる。ここは混浴なのだ。
 だが、昨夜の夢の中のように「これは夢なんだ」と言い聞かせても、大胆に恥じらいを捨てるには勇気がいる。
 少し場所を移動してから、岩場で足の泥や身体を流し、湯気の中で岩を跨いで湯船に入ろうと足を開いたとき蒸気が風で切れ、すぐ目の前に長い髭を湯に漬けているクリスの顔がある。
 驚いてよろめいた美香の足がクリスの肩に触れた。一瞬、クリスが閉じていた目を大きく見開いた。その青い視線の先が美香の股間だったのは偶然だったのか必然なのか。しかし、クリスは素知らぬ顔で「ヤ−」と言い、何事もなかったようにまた目を閉じた。
 あわてて湯船に入って肩まで身を沈めた美香は、激しい胸のときめきを感じながらクリスと並んで身動きも出来ずにいた。
 見回すと、村人らは離れた位置でキヨを囲んで楽しげに語り合っている。その横の湯気の先でエリが同年代の青年と、肩を付け合わんばかりに接近して談笑しているのがおぼろ気に見えた。
 目を閉じた美香は、アルカリ塩泉らしい薬湯を通して伝わってくるクリスの心臓の鼓動に、山道を背負われていた時の不思議な安らぎと深い愛情を再び感じて、ここでもまた至福のひと時を体感していた。(この人と結ばれたら……)、そのシ−ンを思うだけで、温泉ならずとも身体の芯が熱くなる。
 これは本当に縄文時代にタイムスリップしたのか、現代の隠れた桃源郷なのか、あるいは何かの間違いなのか、とにかく夢なら覚めてほしくない、と美香は思った。
 湯が動いて身体が熱さを感知したので目を開くと、浴槽の中の岩に中腰で座っていたクリスがまったく美香のことなど気にもせずに立ち上がり、見事なモノを隠しもせずに湯船の縁の岩を跨いで浴槽から上がった。思わず見上げると、岩場に仁王立ちになって長身の裸身をさらしたクリスの姿は、樹林の梢を抜いて広がる果てしなき青空をバックに見事な彫像となって浮かび、その身体の一部の立派さが美香の視線を釘付けにした。目を反らそうとする美香の意思に
反して、それを凝視した目は、しっかりと記憶に止めるべく瞬きをも忘れている。
 その美香の視線など知らぬ気に、クリスは白麻の衣装をまとうと振り向きもせずに、何事もなかったように立ち去った。
 男女の別なくどんな時でも、人には去り際の美学がある。
 未練たらしく振り返る人、わざと勢いをつけて去る人、キザに恰好をつけて去る人などスタイルはいろいろあるが、女性を無視するのだけは許せない。チヤホヤされることに慣れて無視されることを知らない美香にとって、命の恩人とはいえクリスの態度は気にいらない。明らかに美香の存在を無視していたからだ。
 同様の屈辱は以前にも一度、悔しくて今でも忘れられない。
 美香は、学生時代に短期留学でワシントンにホ−ムスティでいた頃に週末を利用してニュ−ヨ−クに旅をしたことがある。
 その時に出会った日本からの留学生だという黒い目の男と、お互いに本名を名乗らずに一夜を過ごした経験があり、その男が別れ際に書いた長期滞在中だというモ−テルの電話番号が違っていた。これは無視された以上に腹が立つ。
 もちろんクリスとは別人だが、その留学生も男性自身は立派だった。美香を救ってくれたこの青い目のクリスと、あの時の学生にどこか似ていると感じたのは、単に心のどこかに巨根願望があったかも知れない。それとも、自分の心は惹かれ、相手は自分の魅力に振り向かなかった悔しさと未練なのだろうか。
 美香は湯の中で、悪い夢を振り払うように首を振った。
 山奥の野蛮な縄文村の酋長や、ニュ−ヨ−クで一夜を過ごしただけの留学生ごときに、一時的にせよ惚れるなどということは、テレビを通じて数千万人に愛されている美香のプライドが許さない。
 ただ長身とモノが立派だというだけで、好意を寄せるほど短絡的だとしたら、自分も種族保存の本能に基づく欲望剥き出しの原始人に過ぎなくなる。いや、縄文人以下かも知れない。これだと美香自身が、ますます惨めになる。
 美香を村まで運んでからのクリスの態度には、何の変化もなく、トシに任せてからは何の口出しもしていない。むしろ、美香に対しては無関心なのか何の特別な感情もないらしい。それでも美香は、縄文生活を体験できただけでも満足すべきだと考えた。
 だが、この体験を人に伝えても、いまどき縄文村なんて……と一笑されるに決まっている。自分でも疑えば疑うほど、現実が見えなくなるから、結局は縄文人になりきることが自分を納得させる最善の方策だと気がつき、自分から縄文人になり切っていた。

22、打合せ

 八幡平鹿角から盛岡までの高速は約八十キロ、サイレンを鳴らさずに飛ばしても一時間もない。
 後部座席の友美が手帳に書いたメモを読み上げる。
「過去の失踪事件の被害者ですが、男女ともに四大卒、女性は二十五歳未満、血液はO型、身長は百六十センチ以上……偶然とは思えないんですが……」
 しかし、運転席の佐田は呑気に鼻唄を歌い、助手席の石脇は目を閉じてうたた寝をしていて、何の反応もない。
 手帳をバッグに戻した友美は、緑濃い窓外の景色を眺めながら一人でイライラして、今後の成り行きと達也のことを想った。
 DAT社の岡島という重役が何者かに脅迫され、命の危険を感じて警備会社メガロガに警護を依頼したという……これには、相当の理由があるはずだ。
 その重役が、美香の拉致事件が発生した縄文イベントのテレビ放映の仕掛け人だと聞いた。たが、その重役に対する脅迫と美香の失踪には何らかの接点があるのかないのか? 誰に脅されているのか? 友美にはまだ、その因果関係は見えてはいない。
 しかし、その双方に何らかの関連があるとしたら……そう考えると、広告業界の組織図を変えたと言われるほどの実力者で、とかくの噂のある岡島との遭遇は、友美にとっても千載一遇のチャンスであり、取材意欲をかき立てるには充分の材料でもあった。
 場合によっては岡島との出会いから、河田美香失踪事件の不可解な謎が解けていくのかも知れない。そう思うとますます闘志が沸いてくる。
 それにしても、警備会社メガロガの節操のなさには呆れるしかない。報酬の半額を確保して、美香の救出と岡島の警護、この双方を同時に達也に押しつけて知らぬ顔、この厚顔さには言葉もない。
 さらに呆れるのは、その仕事を引き受けて平然としている達也の無神経さだ。これには局外者である友美でさえ腹が立つ。
 覆面パトカ−は盛岡インタ−で一般道路に出た。
 盛岡駅から中央通りを東に向かい、北上川にかかる開運橋手前右側の十四階建ての「ホテル・ルイス」に予定より早く六時前に到着した友美ら三人は、一階のロビ−で達也に会った。佐田も石脇も旧知の仲だから挨拶も軽い。
「いま、上でテレビ局と岡島が揉めてるらしい。六時にはここえ迎えに降りてくることになってるんだ」
「テレビ局って?」
「地元のテレビ・イワテだって言ってたな。そいつらと食事に誘われたんだが、オレは冷麺がいいな」
「なんで、鹿角警察のワシらまで呼ぶのかね?」
「あの女子アナを推薦したのは岡島だからな。それと、滝沢村の役場の課長が縄文祭りの警備の参考に知恵を借りたいと言ってな」
「拉致事件で、滝沢村の話は消えたんじゃないのかね?」
「とにかく、話だけでも聞いてやってくれ」
 喫茶コ−ナ−でコ−ヒ−を前に、今までの情報交換をしていると約束の七時になった。
 達也と一緒にいる友美らの姿を認めて、五十五歳前後の恰幅のいい男が現れ、名刺を出しながら余剰脂肪のついた体を折り曲げた。
終日行動を共にした達也以外は、全員が岡島とは初対面だった。
「岡島隆雄です。よろしくお願いします」
「こちらは、鹿角署の石脇警部と佐田刑事と戸田友美……」
 達也の紹介で岡島は、友美と石脇、運転手役の佐田とも丁寧に挨拶を交わした。
「佐賀さんから先ほど、警察の方や、河田アナの代行をされた戸田さんもお見えになると聞いて、それを先約の方々に話したら、ぜひ同席をと言われまして、私からもお願いしました」
 これが、DAT社の岡島か?
 友美が意外に思ったのは、業界の切れ者として同業他社に恐れられ、誰にでも横柄な態度で接すると言われている岡島が、世間の風評に反して、腰も低く感じも悪くないことだった。
 石脇が確かめる。
「同席の方って、どこの誰ですかな?」
「役場の課長と地元のテレビ局の方で、ぜひ、ご一緒に食事をとのことです」
「テレビ局の接待ですか?」
 それを聞いた達也も心配そうな顔をした。
「テレビ局と警察官、贈収賄にならないかね?」
「いいえ、支払いは私、個人で払いますので心配は要りません」
「じゃ、御馳走になるか。だが、なんでテレビ局が?」
「次のイベントの件で、テレビ側と話がこじれてまして」
「そいつらに脅されてるのかね?」
「まさか。その件は……」
 岡島がためらい、達也がうながす。
「この三人は、ちっとは口が固いから大丈夫ですよ」
「では言いますが、皆さん、オフレコですよ」     
 全員が頷いたので、岡島も席に着いた。これで秘密は守られるかどうかは分からないが気休めにはなる。
「壁に耳ありだからな」
 達也が言うと、五人が席につき顔を近づけた。   
(番組制作をめぐるトラブルらしい)
 この、友美の推測は当たった。
「昨日の河田美香失踪事件を、日東のライバルの不二テレビがニュ−スに出し、テレビの特番がDAT社の企画で、同様の企画を岩手でも進めているとスッパ抜かれ、責任者として私の名入りで顔写真まで出されたために、どこで番号を調べるのか、どこの誰だか知らん連中から執拗に、自宅、会社、携帯と、仕事を止めろ、命は惜しくないか、家族はどうなってもいいのか……と、脅迫が殺到してるんです。それですぐ知人に頼んで、今朝一番に佐賀さんの会社に警
護を依頼したら、ちょうど、東北出張に出るところだというので、一緒に滝沢村まで行って頂いたのです」
 すかさず、達也に代わって友美が言った。
「その企画を中止すれば、岡島さんは安全なんですか?」
「とんでもない。もう根回しは済んでるし、スポンサ−からも金は預かって日東に広告代金の内金として支払い済みなんです」
「返済して頂けないのですか?」
「莫大な違約金が発生しますので、それも出来ません」
「でも中止すれば、命は狙われないんでしょ?」
「いま、この計画を中断したら、DAT社は倒産、私は自殺か高飛びしか道はありません。だから警護をお願いしたんです」
「そうですか……きっと、この人が守りますよ」
 皮肉で言った友美の言葉に励まされた岡島が、安堵の表情で石脇を見た。
「警部さん、早く、河田美香を救出してください。そうすれば、この秋の滝沢村の縄文祭りだって中止しなくて済むんです。今日も滝沢村の村長代行で企画課長が来てるんですが、村長は拉致だの失踪だのと事件が起これば村のイメ−ジダウンになるから、できるなら縄文祭りなど中止しろ、との意見だそうです」
 石脇が断言した。
「もちろん救出はするが、キズなしで無事に戻ってくるかどうかは保証できないす」
「本人さえ戻れば、そんなのはいいです」
 達也と石脇が鋭い目で、勢い込む岡島を睨んだ。
「岡島さん、あんた、何か情報を握ってますな?」
「なにを急に……なにが変なんですか?」
 石脇が諭す。
「あんた、刑事の目は騙せんからな」
「なにも私は、ただ……」
「ただ、なんだね?」
「私を脅してる連中が、妙な言い掛かりを言うのが気になって」
「どんな連中だね?」
「まったく心当たりのない暴力団風の連中で、女を返せ、とか、どこえ隠した、とか、まるで私が拉致犯の一味ででもあるかのように責めるんです」
「本当は隠してるんじゃないのかね?」
「バカな。誰が自分の命を自分で縮めますか!」
「じゃ、この仕事を邪魔したいのは誰だね?」
「ライバル会社かとも思うのですが……」
「河田美香をめぐるライバル関係は?」
「たかが小娘のことで?」
「男にとっては、たかがじゃない場合がありますからな」
 達也の言葉に反応した友美が噛みつく。
「そんな下品な発想だから、真実が見えないのよ」
「なら、戸田さんは、何か分かったのかね?」
「ここは、身代金目当てとして見るのが王道でしょ?」
「だったら、岡島さんが脅される理由はないですぞ」
「まあまあ、食事が先ですね。上に人を待たせてますから……ともあれ、盛岡の味をご賞味ください」
「よしっ、冷麺だ!」
 達也は食事となると元気になる。

23、テレビ・イワテ

岡島の案内で、最上階の十四階に上がり、スカイラウンジ・レストラン「ルイス」に入ると、ピアノの生演奏があり、十人ほど座れる奥の円卓を囲んでいた四人が、岡島の後に続く友美ら一行の姿を見て立ち上がった。
 そこには友美の知っている顔が一人いた。テレビ・イワテの阿部康夫がけげんな表情で友美を迎えた。
「戸田さんも一緒と聞いて驚きました。何か仕事ですか?」
「お邪魔虫です」 
「冗談はやめてください。こっちの仕事は真剣なんですから」 
 岡島がとりなす。
「こちらの戸田さんも関係者です。河田美香が拉致された後、ゲストで参加されていた戸田さんが座談会の司会を代行されたので、録画が無事に撮れたそうです」
「そうでしたか。ニュ−スには出ませんでしたね」
 食事前に飲み物を、となってワインが運ばれてくる。
 総勢が九人、岡島が進行役になり、自己紹介を兼ねての名刺交換を済ますと、後は補足する形式でお互いに軽い挨拶をする。
 それによって、テレビ・イワテ側は、取締役制作局長の阿部康夫の他は制作部長の松沢道夫と、二メ−トルを越す全国のテレビ関係一の長身キャスタ−で知られる報道部長の飛来雅夫であり、他の一人は盛岡市に隣接する滝沢村広報課の唐沢四郎という観光担当課長で、村長の委任を受けて同席していることが分かった。
 食事は、達也が希望した冷麺どころか、フルコ−スになっていていた。八人全員がワインとビ−ルで雑談しながらの食事だから、すべてが前向きになって暗い話は出ない。
「昨晩のニュ−スでは、河田美香の拉致事件がトップニュ−スでしたから、明後日に放送される古代縄文フェスティバルの一時間特番は視聴率も安泰、うちも系列ですからニコニコですよ」
 笑顔の阿部局長を、岡島がたしなめる。
「もしかして、阿部さんは河田美香の失踪を喜んでませんか?」
「そんなことはありませんよ。ただ、あの偶然の出来事が話題を呼んだのは確かですからね。だから、昨夜から今朝の新聞、ラジオ、テレビなどのマスコミがいっせいに取り上げたわけです。これだと本チャンの特番では視聴率二十五パ−セントオ−バ−というお化け現象もあり得ると思いますよ」
 友美が口をはさむ。
「と、すると、同じようなセンセ−ショナルな出来事があれば、次の企画も大成功という計算になるわけですか?」
「その通りですが、あんな僥倖……いや、偶然は滅多にあるもんじゃないです」
「当然です。あんたら、警察の苦労も知らずに」
 石脇警部がムッとし、佐田刑事がなだめる。
「まあ、地元が潤ってから、失踪した河田さんが無事に戻れば、メデタメデタでいいじゃないですか?」
「何を言うだ。それじゃ、犯罪を助長するでねえか」
「警部。ビ−ルがこぼれてますよ」
 八戸漁港から送られたという海の幸を材料にしたサラディエ−ルが出て、クリ−ム−プ、盛岡牛のフィレステ−キのメインディッシュが出る頃には、和気あいあい何の波乱もない。
 達也は悠然と、ビ−ルで雰囲気を楽しみながら出て来る肉、魚料理などを次々に人より早く消化して、空いた時間を焼き立てのパンに当てるから、すでにパンも六ケほど食べ、冷麺への恨みなどとうに忘れている。
 それを横目で見ている隣席の友美が、ご馳走を前にさほど食欲が沸かない自分にイラ立つのか小声でケチをつける。
「少しは気配りして、まわりの人に合わせたら?」
「誰にも迷惑はかけてないぞ」
 デザ−トにメロン、ケ−キとアイスクリ−ムと続いて、テ−ブルの上が片づけられ、コ−ヒ−が出た。
 それを待っていたように岡島が、革カバンから数枚綴じのコピ−を取り出して一部づつ全員に配った。
「今朝、社から十和田大湯の旅館・ホテルに電話をして、昨夜のニュ−ス以来の予約状況を聞いてまとめた資料が一枚目です」
 全員がコピ−に目を落とす。
「その結果、縄文フェスティバルの映像と失踪事件のインパクトが強烈だったらしく、夏休みが終わるのにも関わらず、スト−ンサ−クルを見物に来る観光客の宿泊予約が殺到して、どこもかしこも週末は二カ月から三カ月も先まで満杯だそうです。明後日の番組を見たら大湯温泉には大勢の観光客が押し寄せて、超満員の状態が続くものと思われます」
「そのようですな」
 阿部局長が部下の松沢制作部長と飛来報道部長の顔を交互に見て頷いた。盛岡でもかなりの話題になっているらしい。
「しかし、これはテレビ放映を請け負ったわがDAT社の功績だけではありません。それ以上に、宿泊客の激減した大湯地区の危機感を実感する温泉旅館組合と、税収減少による市の衰退に悩む鹿角市当局との危機脱出への超党派戦略がこの成功を招いたのです」
 つい演説調になった岡島が、一口水を飲んで口調を変えた。
「たしかに、マスコミ……とくに、テレビは一般民衆に対しては大きな影響力をもつことは認めます。しかし、鹿角市では十数年前から役所も市民も一体となって、根気よくこの縄文祭りを盛り上げて来たからこそ、今回の成功があったのです。
 その点では、次回の滝沢村の縄文村おこしプロジェクトについても同じで、チャグチャグ馬コ祭り以上の熱心さが必要なのです」
「まだ誰もこの企画を知らんですから無理ですよ」
 松沢が冷めた口調で感想を述べると、岡島がさえぎった。
「しかし、六月のチャグチャグ馬コ祭りは全国的に知られてるし、ここ数年前から準備していた縄文資料館と、スケ−ルこそ小型でも数年前に発掘された縄文時代の環状列石をテ−マにすれば、大湯の縄文祭り以上の成功を得ることも可能だと思いますよ。もちろん、大太鼓の参加も必要ですな。人類は太古の時代から伝達や娯楽に、大太鼓を用いてきました。太鼓は日本人の心の故郷なのです」
「しかし、滝沢村には大太鼓を打つ人がいないでしょう?」
「いや、まず鹿角のふるさと大太鼓保存会の会長に頼んで十台ほどを集め、二日間のイベントなら初日に、滝沢村の若者と起用したタレントに初歩的な打ち方を教えるコ−ナ−を設け、そこで上達した人だけを二日目の本番に登場させるんです。いま日本では和太鼓がどこでもブ−ムなんです」
「しかし、十台ぐらいだと迫力がないでしょうな?」
「もちろん、全部で三十台ぐらいは必要でしょう。鹿角の場合は保存会会員以外に、各町村の愛好者を自由に参加させたために、会長が名前も知らないメンバ−などが十組も集まって、あれだけ賑やかになったんですから結果はよかったんですが」
「滝沢村のイベントに、三十組も集まりますかね?」
「滝沢村にも隠れた愛好者はいるでしょうし、近県各地から自由に参加を求めれば まだまだ愛好者はいるはずです」
 岡島は額の汗を拭きながら、同意を求めるように滝沢村の唐沢観光担当課長のを見たが、唐沢は浮かない顔をしている。
「唐沢課長は、なにか気に入らないんですか?」
「夕べ、この事件を知った村長に呼び出されまして、失踪した女子アナが無事に保護されなかったらイベントは中止にする、と、言われてるんです」
「冗談じゃない。たしかに、予期せぬ事件で不安が生じたのは事実ですが、ここまで水面下で進めて来たイベントです。昨日の事件だけで、チャグチャグ馬っこ縄文祭り……この企画が中止というのは極論すぎませんか? 予算だって、日東テレビに番組の前宣伝や、各マスコミへのパブリシティ費用にもかなりの金額をつぎ込んできてるんです。いま、中止したら村からは莫大な違約金を頂くことになるんですよ」
「そんな、これは止むを得ない事情ですから……」
「ここには警察の方も見えてるんです。河田美香さん救出も時間の問題なんです。そうですね、石脇警部?」
「ええ、まあ、いま鋭意、そのように」
「唐沢課長、聞きましたね? 多分、二、三日以内には……」
「いや、もう少し……」
 石脇の視線を、達也は顔をそむけて外した。
「もう少しってことは、四、五日ですね? この年に一度の大祭を計画する以上は、成功させなければなりません。それには、まず、昨日の失踪事件の解決が先なのは当然です。
 それが、無事に解決したとして話を進めさせて頂きます。
 ご存じの通り、日本の村には、長野県の原村や岐阜県の白河村などのように周辺の市や町以上に、名産品や観光などで自村のグレ−ドを高めて成功している例も沢山あります。
 したがって、チャグチャグ馬コの知名度に上乗せして、縄文という古代色で都会人の郷愁を誘い、大太鼓の響演で話題を呼び、近辺の温泉に誘致して郷土色の濃いサ−ビスを提供します。それには、地元住民の参加意欲を喚起できるかどうかも大切な要素です。
 これで滝沢村を過疎化から救いますが、さらに、岩手県のイメ−ジアップにつなげるためには、地元局の人気タレントのもつ明るい近代的なイメ−ジに期待することになります」
 飛来が口を出した。
「正直に言えば、鹿角の成功例にあやかるという訳ですね」
 岡島が軽く頷くのをみた友美が、面白くなさそうに口をはさむ。
「タレントの人気に加えて、同様の事件が欲しいのですね?」
「そんな……昨日のようなケ−スはそう期待できませんよ」
 岡島が書類をかざした。
「今回は、観光事業を含む全てのイベントをDAT社が請け負いますので、わたしも命懸けです。次回の特番はは日東テレビのゴ−ルデンタイムに乗せ、全国二十六社の系列ネット放映です。
 したがって、予算もかなり多めに用意し、番組制作のテレビ・イワテからは老弱男女に人気のある女性キャスタ−を起用して番組をグレ−ドアップして頂き、鹿角以上の高視聴率を狙います」
 阿部局長が手を上げて岡島を見た。
「ちょっと、お聞きしますが?」
「なにか?」
「この企画書はよく出来てますが……キャスタ−への要望で、二十五歳未満の四大卒、みめ麗わしき天然素材の美人で身長は百六十五センチ前後、血液型はO型、こんな条件の人気アナが望ましい、と書いてありますが?」
「できれば……テレビ・イワテの報道部の女性はどうですか?」
「うちのメインは、ここにいる飛来雅夫にきまってるんです」
「それは困ります。キャスタ−はあくまでも女子アナでないと」
「なぜです?」
「それは、日東テレビ側の注文ですから仕方ないですよ」
 テレビ・イワテの阿部局長が松沢部長と人気キャスタ−でもある飛来雅夫を見た。
「どうだ。こんなバカな話からは降りるか? 鮎の友釣じゃあるまいし、岡島さんは、うちの女子アナを囮にして、正体の見えない凶悪犯をおびき出そうというんだぞ」
 長身の飛来雅夫が笑った。
「うちの連中は少しぐらい危険があったって平気ですよ。わたしは賛成です。わたしがサブにまわって彼女らをメインにするのもいいじゃないですか……」
「だけど、うちのメンバ−に該当者がいるか?」
「局長、テレビ・イワテは人材豊富で有名なんですよ」
「そんなの初耳だ。じゃあ、美人で二十五歳未満の四大卒で百六十五センチ前後なんているか?」
「美人かどうかは人の見方によりますが、うちには二十五歳以下で四大卒は三人います。血液型は分かりませんが」
 松沢が口を添える。
「O型が一人いるじゃないですか、あれですよ」
「そうか、あいつは新婚ホヤホヤだから、少し刺激があっていいかも知れんな」
「ちょっと待った」
 石脇が岡島に声をかけ、目を細めた。これは何かを掴んだときに胸の内を覗かれまいとする石脇の癖だから、佐田も緊張する。
「この女子アナへの条件は、どなたの要望ですかな?」
「どなたって、日東の制作部とDAT社の共同企画ですが……」
「じゃあ、その企画メンバ−のリストをください」
 岡島が怪訝な表情で石脇を眺めた。
「リスト? ほとんど私と島野部長で決めたことです」
「あなたと島野が? 間違いありませんな?」
 石脇が鋭く念を押した。
「過去の失踪事件の女性の被害者を調べますと、四大卒で二十五歳まで血液はO型、身長は百六十センチ前後……これは岡島さん、あんたのご希望と一緒ですぞ。それとも偶然ですかな……?」
 思わず友美が腰を浮かした。車内では眠ったふりをして友美の独り言を聞いていたのだ。食えないオヤジだ……と友美は思った。

24、クリスという男

 美香はいま、幸せだった。
湯船でのんびりしていると、生きている喜びが溢れてくる。
(殺される!)、あの恐怖に震えた昨日が嘘のようだった。
「ミカ……」
 キヨの声に気づいて汗まみれの顔で岩の上を見ると、ミカとキヨがすでに着替えて立っている。
 美香は、吹き出た汗を湯で流してから岩場に上がった。
 湯上がりの身体に、鹿皮をなめした下着の肌触りが快い。
 麻で編んだ花柄模様の縄文衣を着ていると、エリが美香の髪に花を飾り、首から翡翠の首飾りをかけてくれた。さらにキヨが自分の腕にあった勾玉の輪を、美香の腕に嵌めた。
 美香はこれで一人前の縄文モドキの女になったのだ。
 温泉でたっぷりと汗を出してノドが渇いた三人は、沢に下って水を飲んだ。ミネラルに富む清流の冷たくまろやかな味は、美香の身体にみずみずしい若さと活力をもたらしている。
「あら、ここに魚が……イワナかしら?」
 美香が手を出すと、二十五センチほどの魚が何尾も石裏に潜って尾を振っている。
 そっと両手で挟み込むと簡単に川魚が手の中に入った。小枝を折って来たキヨが、その獲物を受け取ってエラから通してゆく。美香が小魚を獲り、エリは沢ガニを獲った。
 帰路、山道を登りながら三人で若菜を摘み、森に入って木の実を拾った。美香は、この縄文村がすっかり気に入っていた。
 季節はすでに初秋、木々の葉が色づき始めた山々に囲まれた草原には爽やかな風が吹き渡り、心地よい時が流れていた。
 これからは、エリ達と一緒に自由に山野を駆けめぐることができるのだ。
 しかも、ここでは会話は少ないが意思の疎通に不自由はない。
 美香の言葉は、周囲に通じていないかも知れないが、手振り身振りを加えれば理解されるらしく、周囲も必要があれば的確な言葉で意思を通じてきた。
 ここでは、男は狩りと農耕、女は料理と縫製、暇があれば土器を焼き、歌を謡って踊り、よく食べよく飲んでよく交わり、のんびりと温泉に入る……これが村人全員の楽しみだということも、たった一日目で知った。
 野山で遊び、再び温泉に入り日が傾いてから住居に戻った。
キヨが、囲炉裏に燃える火を指さして「モス?」と聞いた。
 美香が頷くと、キヨが、穴の開いた板、その穴に押し込む棒と、それを上から抑える木枠、麻紐を縛って弓状にした木切れ、さらに木の皮をほぐした火種用の綿状繊維の四点を持ち出してきた。キヨが弓状の紐を木の棒に二回巻きつけてから、エリに弓状の木切れを手渡し、自分は紐の巻いた棒を下に置いて膝で押さえ、棒の上から両手で凹みのある木枠を押しつけると、エリが弓状の木切れを鋸のように押し引きを繰り返した。
 すると、一分もしないうちに下に置いた穴に溜まった木屑が焦げて、中から黒い煙が吹き出してきた。そこで、キヨの合図で美香が綿状繊維をくべると赤い炎が出た。
「モエル!」
 その奇跡めいた技に驚いた美香も、すぐ火起こしに挑戦した。
「ユクリ」
 弓を引くのはゆっくりと同じ力加減で、と、キヨとエリの指導でその火起こしの技術を身につけた美香は、大喜びだった。
 外から帰って来たトシが、手を叩いて美香を褒めた。今度はエリが木の皮を剥いた細い蔓状の紐の束を持ち出して来た。
「ポシェ……」、しまったという表情で舌を出したエリが、驚いて睨んだキヨを見て笑った。
 美香にはそれが何を意味するのかまでは分からない。夢にまで見た縄文の生活を体験している喜びと自分が火を起こせたことに感動していた。ここは過去も現代も関係なく、間違いなく縄文時代そのままの桃源郷だった。
 夜は、清流で獲ったイワナに岩塩をまぶした塩焼きや、沢ガニの味噌煮も加えての豪華な夜食で、美香の満足度はまた上がった。
 食後、柿葉の茶を飲みながら美香はさり気なくキヨとエリに疑問を投げてみた。その返事によっては、自分が縄文時代にタイムスリップしたのか、現代の縄文部落にいるのかが分かる。
 美香は、縄文研究会の森本翁から、迷い平の奥地に、青い目のユダヤの子孫に率いられて、移動しながら山で暮らすヘブライと呼ばれる野蛮人がいたが、数年前になぜか滅び去って消えたらしい、と聞いたことがある。それが、この村なのかを知りたかったのだ。
「ユダヤ、アオイメ−、イド−、ホロビタ?」
 単語をつないで懸命に質問をする美香に、キヨとエリが顔を見合わせて首を振るだけで、意味が通じないのか全く反応がない。
 美香はもう一度トライしてみた。今度は独り言だった。
「東北の山奥には、ヘブライという移動村があると聞いた事がありますが、すでにその村は滅びたとも聞いています。その村には、イエス・キリストの子孫だという青い目の指導者がいたとも聞きました。この秘密のベ−ルに包まれているその話を、わたしは今まで信じていませんでした。でも、あのクリスさんと出会ってからは、この村がヘブライだと信じることが出来ますし、あのクリスさんが、キリストの再来だと言われても驚きません。ぜひ、この村の本当の
姿を教えてください」
 キヨとエリには意味が通じないのか、キヨが困惑した表情で、奥で黙々と漁網を編むトシを見た。美香が続ける。
「わたしは長い間、縄文の世界に憧れてきました。夕べ来たばかりで生意気と思われるかも知れませんが、ここで一生皆さんと一緒に住めたらいいな、と思っています」
 トシが近づいて「クリス、アウ」と言い、松ヤニの臭う松明に囲炉裏からの火を移してから、美香に外に出るようにと誘った。
 トシと美香は、暗くなった広場に出て、クリスの住む高床式の住居に向かった。
 トシが呼び板を叩いてから「ヤ−」と声を掛けると、内部からも声があった。トシに続いた美香が木造りの階段を上がって高床式住居の室内に入ると、クリスが読んでいた本を伏せて立ち上がり、嬉しそうに二人を迎え入れ、すぐに果実酒の宴が始まった。
 部屋の中では、木箱を台にしてクリスが本を読んでいたが、美香を見て手招きした。美香が近づくと、隣に座るように指示する。
 美香はクリスの横に座って、醤油色に色が変わってあちこちが破れた古い皮製の書物を見た。
 これが本物のヘブライの文字だったのか? 
 そこには、昔の人が書いたのかアラブ文字のような記号が羅列していて、美香が研究会の森元翁から教わった象形文字とは微妙に違っていた。
 ふと、くぐもった鳴き声に気づいて顔を上げると、動物の油脂を燃やした灯火の揺らぎの中、天井下の横木で何かが動いた。ゾッとして目を凝らして見ると、その視線に気づいたかのように羽ばたきをする。そこには鳩が三羽,仲よく並んで休んでいた。
 ふと、美香を救った直後にトシが何かを夜空に放ったとき、たしかに羽音がしたのを思い出した。あれがこの鳩だったのだ。
 目が慣れてくると、棚があって、石片や布らしい妙な品物が並んでいる。
 美香の視線に気づいたのか、クリスが立ち上がってそれらの品物を手にして床に並べた。
 それを見た美香が息を呑んだ。
 青い目の縄文の頭が、伝説の品々を護っていた。
 これぞ、まさしく高校の西洋史で学んだ古代ユダヤの三種の神器ではないか。本物が幾つかに分散されていると聞いたが、その一つがここにあるとは……。
 美香が刻まれた文字が見える石片を指さして聞いた。
「モ−ゼ?」
 クリスが無言で頷いた。
 やはり、モ−ゼの十戒を刻んだ十戒石だったのか?
 と、なると、聞くまでもない、このボロのような布はキリストの体を包んだ亞麻布に違いないからだ。
 念のために聞いてみる。
「マンディリオン布?」
 返事がないので、胸で十字を切って「キリスト」と言い、身体を包む振りをすると、またクリスが頷いた。
 もう後の折れた棒の切れ端は聞かなくてもいい。あのゴルゴダの岡でロ−マ兵カシウスがキリストの処刑に用いた槍の柄の木片、これをロンギリスの槍片と呼ぶのは西洋の歴史をかじった者ならば誰でも知っている。しかし、その三種の神器を見るのは誰にでも出来るものではない。
 美香は感動で胸が張り裂けんばかりに震えるのを感じた。
 このヘブライの村では、三種の神器を守る青い目の男が万能の神になると聞いたことがあるが、あの噂は事実だったのか。
 トシがなにか小声でクリスに話してから、お互いに肩を叩いて別れ、トシは降り闇の中を松明の炎を揺らして帰って行った。
 快く酔った美香は、そのまま横になって眠りに落ちていた。
 その夜、美香は、自ら望んでクリスに抱かれた夢を見た。
 夢……これは、あくまでも夢だった。
 美香は、めくるめく快感と陶酔の中で嗚咽と絶叫を繰り返し、過去のどの体験を遙かに超えた究極の悦びを貪り、頭の中を白一色に染めて、深夜から夜明けまでを谷間の温泉で凝視した巨きなモノに貫かれ揺さぶられて(死ぬ!)という至福の瞬間を数えきれないほどに味わい感じ続け、仮死状態で……夢を見た。
 これは夢なのだ。美香は落ちてゆく意識の中で、縄文の子をみごもる夢を見た。
 これが、美香の縄文人としての初夜だった。


第五章  魔界の迷路


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