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新選組・残照
3、 姉ノブの嫁入り先

4、丁稚奉公

 
 四谷大木戸の伊勢屋源左衛門という親類の紹介で、江戸上野の「いとう松坂屋呉服店」に丁稚
奉公に出されたのは歳三が十一歳、弘化三年の春だった。長男が家を継ぐ農家の次男以下が他家
に奉公に行くのは当然のことだから、自分が置かれている状況を痛いほど感じている歳三にとっ
て、異存など言える立場ではない。むしろ、新天地を開くという意味では歓迎すべきで、兄嫁の
ナカが家事と子供の世話でいっぱいになったこともあり、歳三が自立するにはいい機会だった。
「いとう呉服店」は、織田信長に仕えた小姓の伊藤蘭丸が創設したともいわれるが、歳三が勤め
てから聞いたところによると、安土桃山時代に清洲で開業した伊藤惣十郎という尾張の商人が、
織田信長の朱印状を得て、尾張から美濃地方における唐人相手の商売などを任され、呉服の貿易
や税銭の徴収などの手数料で大儲けして豪商になった。その後、豊臣、徳川の代になっても印判
状を与えられて事業を拡大して尾張に移り、さらに江戸上野の松坂屋を買収して「いとう松坂屋
呉服店」と改称していたと聞く。
 そこで修行して番頭にでも出世すれば、「将来は八王子あたりで店を出せるようにしてやる」
と、兄の喜六が励ましてくれ、不安でいっぱいの歳三の背を押して旅立たせてくれた。歳三は、
長期に家を離れて暮らすのはこれが初めてだった。
 弘化二年(一八四五)の春、迎えに来た遠縁の伊勢屋源左衛門に連れられて歳三は家を出た。
 早朝一番でまだ夜明け前で一番鳥が鳴き始めたところで家中の見送りを受けて手を振って別れ、
未知の世界に飛び出した歳三だが、歩き始めると腹は決まった。
 石田村から甲州路の並木道を歩いて四谷大木戸までは約八里(三十二キロ)、早朝立ちでも途
中で一泊して江戸府内に入るのが通例だった。
「子供の足では一日では無理だから、どこかで一泊するか?」
「大丈夫だよ」
 源左衛門の労わりを振り切って、歳三は弱音も吐かずによく歩いた。途中、何度か茶店で休ん
でダンゴを食べたり、一膳飯屋で食事をしたりしたが、府内に入ったのは意外に早く、夕陽がま
だ西の森影に沈む前だった。夕暮れの江戸府内は見るもの全てが新鮮で、日野ではまだ蕾だった
桜が内藤新宿を越えるとどこの桜も満開だった。元気な歳三は足早に歩き、日暮れ前に四谷大木
戸の伊勢屋源左衛門宅に着いた。
 わらじを脱いだ源左衛門は玄関先で倒れこんだが、歳三は「お世話になります」と法事などで
何度も会っている家族に挨拶し、「歳三は元気だね」と褒められると笑顔を見せ、その余裕がま
た家人を驚かせている。

 翌朝、全山桜に包まれた上野の山を眺めながら、格式ある大きな構えの「いとう松坂屋呉服店」
に着き、源左衛門に続いて歳三も暖簾を分けて入った。
 たかが一人の丁稚奉公を迎えるのに、江戸支店を任されている店主代理の伊藤吉右衛門をはじ
め番頭なども総出で迎えて「ゆく末は番頭ですからな」と、期待の大きさを感じさせるような世
辞を言われ、歳三も悪い気はしなかった。だが、丁稚奉公での小僧の毎日は多用で辛かった。
 掃除洗濯、買い物、野菜洗い、大八車での荷物運びなどの雑用の他に、呉服屋の修行と称して
雑巾縫いや先輩の寝巻き縫いまでやらされて食事もそこそこ、早朝から深夜まで寝る時間もない
ほど古参の先輩丁稚や文蔵という番頭にまでこき使われた。それでも歳三は音を上げなかった。
そんな歳三を丁稚仲間は頼りにして、年上の丁稚まで「歳さん」と呼んで一目おいてくれる存在
になっていた。
 そんな歳三に興味と同情を持った女中たちが、丁稚には滅多に口に出来ない和菓子やカステラ
などを陰に隠れて分け与えてくれるのまではいいが、呼吸が止まるほど強く抱きしめて口づけを
されたりするのには閉口した。それでも、幼児期から女には好かれて暮らしていて、いつも同じ
ような目にあっている歳三は、さほど気にもしかなかった。
 店の方針では、丁稚も反物の畳み方や着物の縫製を女中達から習うことになり、それまでは会
話さえ禁じられていたのが公然と教える側と教わる側で接触することになったから大変、どの女
中も歳三に教えたがったから、歳三だけが手取り足とり教わることになり、すぐに裁縫の技を身
につけた。
 歳三は少年時代から器用だったから、たちまち自分の着衣のほころびも補修出来るようになり、
女中から貰った布で浴衣を作って着て見せたから店の誰もが驚いた。
 呉服屋の仕事は楽しかった。だが、歳三の呉服屋奉公は長くは続かなかった。

 秋風が肌に冷たく感じられる落葉の季節に事件は起こった。
 歳三と女中たちの仲を不快に思った番頭の文蔵が、嫌がらせか嫉妬でか何の理由もなく「飯を
半分にするぞ」と、丁稚頭に命じて歳三の食事を半分に減らした。仕事を増やされるまでは我慢
ができたが、育ち盛りの歳三に食事の半減は地獄の責め苦より辛かった。見かねた女中たちが、
せっせと歳三に差し入れをし、それを知った文蔵は仕事量を倍増させた上に食事をさらに減らし
たから歳三の我慢にも限界がきた。ある夕のこと、台所の上がりかまちから土間に下りようとし
た文蔵が、横柄に「草履の添え方が悪いぞ」と歳三を叱った。その途端に歳三の堪忍袋の緒が切
れた。いきなり草履を手にして、文蔵の横っ面を思いっきり殴りつけ、飛び掛って肩車で土間に
投げ飛ばしたのだ。
 文蔵は腰を痛めたのか起き上がれずに呻いている。
 奥から出て来て呆然と立ち尽くす伊藤吉右衛門に、「こんな店、辞めてやる!」と啖呵を切り、
歳三に好意的な吉右衛門の説得を振り切ってそのまま裸足で店を飛び出した。歳三は大木戸も巧
みに抜けて府内を抜け出し、上弦の月灯りを頼りに甲州街道を歩き続け、ようやく夜明けに家に
辿り着き、驚いて出迎えた兄の喜六に、「腹が減った」とだけ言って倒れ込んだのも懐かしい思
い出だった。
 兄の喜六も、出産して作助と名づけた赤子を抱いた兄嫁のナカも、そんな歳三を怒りもせず「
辛かったか?」と慰めてくれ、空腹を察してすぐ茶漬けを出してくれた。
 歳三が、店を辞めて来た事情を聞かれ「番頭を殴ってしまった」と話すと、兄嫁のナカが喜六
に図って、歳三には内緒で、急ぎ飛脚を使って「いとう松坂屋」には詫び状を添えて過分な金子
を届けてくれていた。
 後日、それを知った歳三は、胸が熱くなる思いで兄夫婦に頭を下げたのを今でも忘れない。
 歳三、十一歳の苦い思い出だった。

5、 本田覚庵


添付ファイル: filekaiundou.jp_ssg_004.jpg [詳細]

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