Welcome Guest 
メインメニュー
サイト内検索
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録
[ リロード ]   [ トップ | 一覧 | 単語検索 | 最新 | ヘルプ ]

Counter: 3382, today: 1, yesterday: 4

坂本龍馬
3、 二人の運命


第十章 将軍家茂の死

4、参戦


ryoma059.jpg SIZE:308x500(28.3KB)



 4、参戦

 佐柳高次のたっての願いで五島列島の薩摩藩船ワイルウエフ号の遭難地点に近い地に、遭難した十三人の仲間の碑を建てて供養し、下関に着いたのは六月十六日だった。この時、すでに幕府対長州の戦端は開かれていて開戦から七日立つが膠着状態で、勝敗は全く見えていないという。
 この状況下では桂小五郎としても、長州の善意を受け取らなかった西郷をなじるどころではない。かといって、西郷の言葉通りに兵糧に使うのも沽券に関わる。龍馬が、その桂の困惑を見抜いた。
「そげに邪魔なら、亀山社中で引き取らせて頂くがどうじゃ?」
「よかろう」
 龍馬は、とんでもない安値で米五百を買い取り、それを亀山社中の食料として長崎に運ぶことにした。
 その日、戦場にいた高杉晋作が、龍馬がユニオン号で下関に帰港したとの報告を受けて戦場から急ぎ戻って来た。
「坂本さんとは、前から会いたかった」
 二人は初対面だが縁は深い。高杉が松田という仲間と上海に行った折に購入した拳銃を龍馬に贈っている。
「おまはんから譲り受けたスミス&ウエッソンの短筒と、警護に付けてくれた三吉慎蔵がいなんだら、わしはとっくにあの世行きじゃった。高杉さんには感謝ばかりで、まっこと頭があがらんぜよ」
「なあに、こっちこそ坂本さんのお蔭で天敵の薩摩とも手打ちできた。その上、坂本さんの口利きでグラバーから鉄砲七千五百丁と軍艦というとてつもない武器を薩摩経由で調達してもろうて感謝感激しとる。いずれお礼をさせて頂きます」
「そいつは心配ないぜよ。亀山社中の取り分は充分頂いてるきに」
 高杉晋作は龍馬より四歳下の天保十年に長門国萩城下に生まれ、漢学塾、藩校明倫館、松下村塾を経て文武両道の達人となり、江戸へ遊学して昌平坂学問所などで学んだ英才だった。今は自他共に認める長州藩切っての尊王倒幕志士の第一人者として活躍し、奇兵隊などの諸隊を創設し農民を組織して軍隊とし長州藩を倒幕一辺倒の強国に仕上げていた。
 龍馬との共通点は、お互いに美女好みの点で、晋作の妻まさは防長一の美人と言われている。
「ところで、おぬしに頼みがある」
 高杉が土下座せんばかりに頼んだ内容は、龍馬が想像した通り「すぐ参戦してくれ」との一言だった
 長州藩は、薩摩藩と同様にかなり以前から海防に備えていたが、その殆どは大砲台場の建設など革に向けられ財政難もあって軍艦の保持には消極的だった。それが外国の四ヶ国連合艦隊の攻撃を受けて台場の砲台が根こそぎ壊されてからは、海軍局を設けて軍艦の強化に向かい、今は五隻ほどの艦船を有している。この乙丑丸もそのうちの一艦だった。
 ただ、艦船は薩摩藩経由で手に入れても、今すぐには操船技術を持つ者が間に合わない、と高杉は言う。
「おまはんは?」
「わしは今、海軍総督で丙寅丸ことオテントサマ丸に乗って指揮をとっとるんじゃ」
「薩摩にも頼まれてるじゃき手伝ってもいいが、わしは殺生を好かん。大砲で敵の台場を全部破壊する。それでどうじゃ?」
「それで結構、おぬしの部下には砲術の名人で石田英吉とかいう医者の息子がいたな?」
「知っとったのか?」
「それに長岡健吉と菅野覚兵衛、この三人がおらんと、おぬしは仕事になるまい?」
「そん通りじゃ」
 話が決まって、ユニオン号から桜島丸、さらに長州藩海軍局命名による軍艦乙丑(いっちゅう)丸は直ちに出陣となった。

 六月十七日、黎明の海峡を龍馬の乗る乙丑丸は長州の軍艦庚申丸を従えて出陣した。
 乙丑丸の船長を任された菅野覚兵衛が叫んだ。
「我々は門司をやるぞ!」
 七十馬力で速力四ノット、小型で動きの早い小型軍艦だが備砲は六門、三十斤砲二門の威力も見逃せない。彼我の砲弾が飛び交う海上は、硝煙が濃霧になって視界が利かない。海峡のあちこちで水煙が上がっている。
 戦いはすでに芸州口、大島口、石州口、小倉口に続々と集結した幕府征討軍と長州軍の戦いで一進一退の攻防が続いているらしい。聞くところによると、幕府征長軍のなかで主体になる部隊は、副総督の小笠原壱岐守の指揮する九州勢で小倉、久留米、肥後の各藩の精鋭部隊で、海上には富士山丸、翔鶴丸、順動丸などの大型軍艦が馬関海峡にかけて暴れている。
 瀬戸内海に浮かぶ周防大島は幕府の手に落ちて占拠されていた。
 総指揮官・高杉の丙寅丸が癸亥丸(きがいまる)、丙辰丸(へいしんまる)を従えて田の浦を攻撃していた。
 太兵衛は、この戦いを複雑な思いで眺めていた。
 三平らの集めた情報によると、将軍家茂は長州の攻撃の及ばない広島に陣を敷いていて、戦いに巻き込まれる心配はない。
 高杉が乗る丙寅丸は英国製の鉄製蒸気型で三十馬力で全長約二十二間(約四十m)で、この戦いのために高杉がグラバーから四万両近い大金を払って購入したものと聞いている。豪快で変人とも言われる高杉は烏帽子姿で、戦場でも酒を呷りながら大声で指揮し、その声は海上を飛んで、砲弾の途切れた時には敵艦の将兵や陸地の敵兵の耳にも飛び込んで幕軍の戦意を削いだ。
 田ノ浦方面での激しい砲撃戦も幕軍の砲台が壊滅して決着がついた。高杉は直ちに奇兵隊と呼ぶ陸戦部隊を小船に乗せて上陸させてゆく。高杉の率いる三艦はすぐ進路を変えて門司に突入し、乙丑丸が砲台を攻撃し終わったのを確認すると、ここにも陸戦隊を送り込む。
 その上、幕軍側の小倉港に幕軍の軍艦の姿がなく輸送船一隻だけしかないのを見極めると、すかさず砲撃をしながら湾内に進入して、龍馬の乙丑丸が後に続くのを確認すると、軍艦備え付けの小船を海上に下ろすと次々に上陸を開始し、自分も烏帽子直垂姿で小船に乗り込み、自らも刀と拳銃で戦いながら水際での白兵戦から幕軍を圧倒して船舶に火を放ったりして勝ち進んで行く。
 その様子が甲板に出た太兵衛の目にも見えた。
 乙丑丸が陸地に接近すると、石田英吉の指揮で甲板に備えた三門の大砲が火を噴いた。
 石田は次々に標的の砲台を破壊して行く。その着弾点は殆ど狙い通りで見事と言うほかに言葉がない。
 やがて、敵塁を制覇し岸辺の船を焼き尽くして、高杉らが小船を走らせて軍艦丙寅丸に戻ると、乙丑丸との二艦は直ちに小倉湾を撤去して幕艦からの反撃を避けて下関港に戻った。



5、 将軍家茂の死


添付ファイル: filekaiundou.jp_ryoma059.jpg [詳細] filekaiundou.jp_ryoma060.jpg [詳細]

XOOPS Cube PROJECT