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新選組・残照
6、 ミゾソバ(溝蕎麦)刈り

7、大伝馬町・伊藤呉服店

   
 十七の春、歳三は再び呉服屋奉公で江戸に出た。
 歳三が江戸に出て、ミソソバ刈りの差配を出来なかったこの夏は村娘達の参加がなく、華やか
であるべき土用の丑の日の宴会も盛り上がらなかったらしい。それだけではない。この年のミゾ
ソバの収穫は極端に少なく「石田散薬」の売れ行きは今一つ伸び悩んでいた。「お大尽」の土方
本家にとって「石田散薬」の収益やミソソバ刈りの不振は問題外だが、明るく華やかな歳三がい
ない土方家と石田村は、夕べの焚火の火が消えたように暗かった。
 歳三がミゾソバ刈りの指揮を出来なかった十七歳の夏は、春からの二度目の奉公で江戸にいた。
 上野の「いとう松坂屋呉服店」の店主伊藤吉右衛門が、歳三の勤勉な仕事ぶりを見込んで伊藤
一族の分家である江戸大伝馬町の伊藤呉服店に紹介してくれていたのだ。その話を石田村まで届
けてくれた親戚の四谷大木戸・伊勢屋源左衛門からは、今回は丁稚ではなく「番頭見習い」とし
ての奉公だという。歳三の行く末を案じていた兄の喜六と兄嫁のナカが賛成したことで、歳三の
道は決まった。
 歳三としても、自分の才能を見込まれただけでも悪い気はしない。武士になる夢にも無理があ
ることを知り始めて悩んでいた時期だし、その夢を一時保留にして江戸の空気を吸って来るのも
いい。そう考えてこの話に乗った。
 今回は一人で旅をし、四谷大木戸の伊勢屋に立ち寄って手土産を置き、源左衛門が同伴すると
いうのを断って地図を書いて貰い、見覚えのある江戸の景色を楽しみながら、夕方には店に着い
た。
「伊藤呉服店」の屋号と店名を染め抜いた暖簾を垂らした間口三間(五・四メートル)のごく普
通の小ぎれいな店だった。
「ごめんください。石田村から来ました」
 玄関を入って一応の挨拶をすると、店内には老夫婦と孫らしい三人の客がいた。その客に二人
の男が応対し、女中もお茶を運んだりして忙しそうな様子だった。座敷いっぱいに広げた反物の
説明をしていた初老の男が客に断ってから振り向き、おだやかな声で「歳三さんかね?」と聞い
た。
 歳三が「ハイ」と頷くと、「わたしが当主の伝兵衛だよ」と言い、奥に向かって叫んだ。
「石田村の歳三さんが来たよ」
 すぐ、お上さんらしき女性が歳三を迎えに出て「裏にまわって」と、下駄をひっかけて歳三を
裏に案内して、屋内に声をかけた。
「千代、濯ぎをもって来て」
「母さん、なあに?」と、千代という娘が出て来て長身で目の澄んだすっきりした顔立ちの歳三
を一目見て、顔を赤らめて小走りに桶を抱えて井戸に向かった。歳三があわてた。丁稚奉公に来
た先の商家の娘に足濯ぎの水を汲ませるなど聞いたこともない。
「自分でやります」
 千代という娘から金盥と雑巾を取ろうとして指が触れた。娘が「あら」と小声で叫んでつぶら
な瞳を大きく見開いて歳三の目を見た。この瞬間、歳三と千代はお互いに恋に落ちたのを感じた。
 千代は何も言わずに家に駆け込み、歳三は着衣の汚れを叩いて落とし、目に残った千代の白い
足を振り払うように顔と手と洗って手拭いで拭き、胸の動悸を押えるために深呼吸してから足を
洗って雑巾で拭いてから家に入った。
 改めて、お縞と名乗ったおかみさんと千代という娘に両手をついて作法通りの挨拶をし、自分
の住まいとなる一階の番頭の部屋の隣り部屋に案内され、さっそく奉公人用の縦縞木綿の着物に
博多帯、白足袋という姿で店に出た。まだ、娘と両親三人のお客の反物選びが続いていて、主人
が広げた布の柄について説明し、番頭と女中が反物を丸めていて、まだ数本の反物が広げられた
ままだった。
「お手伝いしますか?」
「頼むよ。私は番頭の磯吉だからね」
「あたしは、お絹」
 主人が小声で「挨拶は後で」と言った。
 歳三は、いとう松坂屋仕込みの手際の良さで反物を巻くと、新品のままの形になり、恰幅のい
い客が唸った。呉服屋では反物三年という言葉もあり、反物がきれいに巻ければ一人前に見られ
る。
「あんた、さっき表に来た小僧さんかい? 見直したよ。この店が始めてじゃないね?」
 店主の伝兵衛が客に言った。
「さすがに山城屋さん。業種は違っても見る目はさすがですな。この歳三は、六年ほど前の丁稚
時代に上野の本店で働いていたんです。その時から私は目をつけていたんですよ」
「そうですか。歳三さんとやら、あんた幾つだね?」
「十七です」
「十七か? 役者絵のようにいい男だねえ。落ち着いてるから二十歳(はたち)の上かと思った
よ」
 その父の隣で娘が顔を上げてチラと歳三を見て、すぐ目を伏せて頬を赤らめている。
 そこにいた全員が頷き、歳三は黙々と反物を巻いていた。
 客が帰ると、伝兵衛が家族を含む全員を表座敷に集めて、歳三を改めて紹介した。
「今度、当家に縁あって奉公する歳三さんだ。みんな仲良くしておくれ」
 歳三は自己紹介を交換しながら、一座を見回して年齢を推定した。自分の見る目に大きな狂い
はないはずだ。伝兵衛とお縞夫婦は四十五と三十八、娘の千代が十八、番頭の磯吉が二十五、女
中のお絹が二十二ぐらいに見える。その日から歳三は、ごく自然に家族の一員に認められ、夕飯
は家族と従業員全員が同室で膳を並べた。
 上座に座った店主の伊藤伝兵衛が言った。
「源左衛門さんの話だと、歳三さんの家は武家出の元名主で{お大尽}という屋号だそうだね?」
「屋号負けして困っています」
「客が門を潜るのを見て湯を沸かし、庭を通って玄関から客室に入った頃に茶が立つんだって?」
「そんなに広いの?」
 娘の千代が目を丸くして歳三を見つめた。
「そんな噂は間違いです」
 ミソソバ刈りと酒で服む石田散薬の話なども聞かれて盛り上がったが、身内の源左衛門がいか
に土方一族を身びいきにして語ったかもよく分かった。
 仕事は楽しく歳三はよく働いた。千代と同じ屋根の下にいるだけでも楽しかったが、歳三はそ
知らぬ顔でいた。千代も歳三には好意的だった。お縞には何度も廊下ですれ違いざまに抱きしめ
られ唇を吸われるが、これは挨拶のようなものと諦めることにした。お絹にも言い寄られるがこ
れは危ないから受けられない。千代は好きだがお互いに近付けない。若い歳三の悩みは尽きなかっ
た。
 それでも、上野の店での苦い思いでは心の傷になっていて、あの二の舞を避けるために絶対に
隙を見せない決意で、断固として女嫌いの姿勢を貫いていた。
 番頭の磯吉は小柄で口数の少ない真面目な男で歳三とは気が合った。


8、 千代という娘


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