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大原幽学
3、夜明けの決闘 3

4、夜明けの決闘 4

 血の噴く腰の傷口を両手で抑えた柳生兵介厳久(ひょうすけとしひさ)が、苦痛に顔を歪めながら呻いた。
「才次郎。砂利つぶてとは卑怯だぞ!」
  しかし、その声は左門には届いていない。
  大道寺左門は、生まれて初めて人を切った恐怖に怯えたのか、その場から一刻も早く離脱することだけを考えてでもいるかのように、一目散に馬の手綱を繋いだ桜の木を目指して裸足のまま土手を駆け登っていた。その後ろ姿を追っていた兵介のおぼろな視線にはすさまじい怒りが渦巻いている。剣術師範が門弟に敗れるなど道理が立たな過ぎる。
(いまに見てろ、思い知らせてやるぞ!)
  兵助は暗くなる意識の中で、卑劣な手段でこの身に一撃を加えた左門を恨み、おのれの油断を恥じた。
  死ぬのは恐れないが、この死に様には悔いがある。尾張柳生家の遠祖・柳生兵庫介利厳(としとし)以来二百五十年もの長きにわたって続いた柳生新陰流の本流が自分で絶える……これは辛いことだった。
  剣聖と崇められた上泉伊勢守から引き継いだ新陰流に、さらに改良を加えて柳生新陰流という新たな流派を創設したのが尾張柳生家の祖の柳生兵庫介利厳だった。
  したがって、天下無双の剣として将軍家の兵法指南役として君臨する江戸柳生といえども柳生新陰流としては傍系に過ぎず、柳生新陰流の正統八代目を継いでいるのは徳川御三家筆頭の尾張藩兵法指南役である柳生兵介厳久すなわち今、死に瀕しているおのれなのだ。
  柳生新陰流には古来、剣以外の武器に対応する工夫があり、その手練を積むことも流儀の一つになっていたのだが勝ち誇った兵助は、そのおごりの心の隙を突かれて砂利交じりの目潰し攻撃にさらされ、何の防御策も講じ得なかった。
  この油断が、腰を突かれて悶絶するという醜態につながったのだ。
  兵介はおのれの油断を恥じた。
  思えば、父・又右衛門厳之(としゆき)が逝ったのは兵介がまだ十九歳の若きときであったことから、まだ奥義と言えるほどの薫陶は受けていないに等しかった。
  かつて、江戸柳生には十兵衛三厳(みつよし)、尾張柳生には連也斎厳包(としかね)という歴史に残る剣豪が輩出したものだが、それに引き換えこの無様な姿はどうだ。そこでまた左門への恨みが雲が湧くように胸を塞ぎ、生きてこの世に残れるなら必殺の剣で殺してやる、もしも、このまま死するなら必ずあの世から呪い殺してやる。
  その左門への怒りの中で兵助は気を失いつつあった。
  朝露を含む雑草の繁る土手の上を、左門を乗せた馬のひずめの音が遠のいて行く。
  兵介は、小石を染める多量の出血で意識が遠のいてゆくのを感じていた。それでも無意識の内に、笛の音のような澄んだ音色で仲間に自分の存在を知らせる鳶(とび)の鳴き声を繰り返して澄み渡った晩春の空に放っていたが、ついに力尽きて小砂利混じりの川原に突っ伏して気を失った。

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 しばしの時が流れた。
 やがて、緊急の場合に発する忍者寄せの「鳶の声」を聞きつけたのか、いずこからともなく駆けつけた木こり姿の四十半ばと見える髭面の小柄な男が兵介を背後から抱え上げ、背に膝を当てて両肩をグイッと引き寄せると兵介が息を吹き返した。
「若、どうなされた?」
「藤三郎か? よく来てくれた」
「トビが鳴きましたので……」
  柳生一族の遠縁に当たる若宮籐三郎が、すぐ兵介の腰の刀傷に気づきいた素早く三角巾兼用の幅広手ぬぐいを縦に裂き、それを繋ぎ合わせて兵介の腰に血止めとして巻付けて応急の処置をした。
「痛みまするが、しばしの我慢を」
  兵介の前に回って小柄な身体ながら背を向けて長身の兵助を背負うと、静かな気合で一気に立ち上がり、軽々と土手に向かって歩き出した。
  その視線が、脱ぎ捨てられた左門の草履に向いたが、もとより名が付されている由もないからどこの誰とは分からぬが、鼻緒のつくりからして名有る家の者との察しはつく。
  その心の動きを背で感じたのか兵助が言った。
「藤三郎、他言はせまいぞ。拙者、不覚にも馬が暴れて振り落とされ腰を打った。暫く、藤三郎の家で養生し動けるようになったら帰宅する……わたしを家に運び込んだら我が屋敷に馬を運び、母上や家の者に伝えてくれ。見舞いは無用とな」
「かしこまりました」
  余計なことは言わず考えず、が柳生家郎党の習いだけに、それだけで充分に意思は通じた。ただ、当代随一と言われ麒麟児とたたえられる尾張藩主指南役の柳生兵介を斬れる者が藩内にはいるはずがない。
(と、なれば代々に渉って暗闘が続く江戸柳生との確執が再びめぐってきているのか?と、すればて刺客は誰なのか? しかし、刺客なら旅姿だから足袋に草鞋(わらじ)で草履などはあり得ない。これは、軽い朝稽古の延長ではなかったのか? ならば誰が若師範と馬合わせを……?)
  その藤三郎の疑問を背で感じたのか、兵助が耳元で叱咤した。
「落馬とて充分の恥じゃ。それを巷に流せ……山犬に吠えられて馬が暴れたとな」
「はい」
  これで、藤三郎の疑念は消えた。いや、無理に消したのだ。
  愛馬の背に乗せられた兵介は山里の藤三郎のあばら家に運び込まれて、柳生のくの一でもある藤三郎の妻の世話になることになった。
「八重、帰ったぞ!」
  がたびしと戸が開いて、八重と呼ばれた小柄な妻が顔を出した。
  瀕死の重傷で運び込まれた兵助に、正座して平手をつき作法通りに頭を下げた。
「若様、ようこそ我が家へ。ごゆるりとお過ごしください」
「かたじけない。世話になる」
  苦しげな兵助の心を感じた八重は挨拶をして目を伏せた。
  八重が押入れからせんべい布団を出して敷くと、藤三郎がその上に兵助を運んだ。
「オレは、お屋敷にひとっ走りしてくるから、若の傷に薬を塗り手当しといてくれ」
「ハイ」
  八重が兵助の袴を脱がせ、下帯一つの姿にして傷口を見た。
「誰がこのような傷を……?」
  八重の疑問に、戸口に向かった藤三郎が振り向いて応えた。
「若殿は落馬してケガをされた。これが真実だからな」
「承知しました」
  藤三郎が出かけた後で八重が、長持ちから薬草を出してきた。
「わたしは、切り傷にはこれが一番効くと思います」
  八重が取り出したのは、乾燥して刻んだ芍薬の根だった。
  八重はその薬草を口に含んでよく噛んでから手に出して揉み、それを傷口にべったりと貼り、その上を布で巻いた。芍薬の根には、消炎、鎮痛、抗菌、止血などの作用がある。
  八重は、苦し気にうめく兵助の頬に両手をあてて顔を寄せ、口内に残した薬草の噛み汁を口移しで飲ませた。兵介の喉がごくりと鳴って薬草が体内に入るのを感じてから八重は顔を放し、ホッとしたように笑顔を見せた。
「これで、回復が早くなります」
  傷口が傷むのか兵介がまた呻いた。
  この先、どうなるか……兵助にも分からない。瞑目するとまた傷の痛みが疼き、不覚だった気持ちがまた甦って自分を責め、その反動で左門への恨みでまた頭に血が上った。

5、夜明けの決闘 5


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