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大原幽学
6、勘当‐1

7、勘当−2

 左門は困惑していた。
  咲に手伝わせて身支度を整えながら思いを巡らせたが、考えはまとまらない。
  自分が家を出ることになったのは、身から出た錆でやむを得ぬことだ。しかし、何の罪科もない咲までは道連れに出来ない。ましてや、自分は明日のねぐらもままならぬ風任せの旅で、行く宛もない身なのだ。尾張に生まれて他の地を知らず、自らが新天地を開くのも覚束ないのにか弱い女連れでの旅など思いもよらぬことだった。
  左門は暗い表情で咲を見た。
「それはならぬ。これからは咲には咲の進むべき道があろう。ましてや、これからの行く先などは自分自身でもまったく知らんのだ」
  咲がきっぱりと応じた。
「心配は無用に願います。わたしはすでにお屋敷からお暇をいただいておりますので、今さら戻ることは出来ません。左門さまがお邪魔だとおっしゃるのでしたら結構です。わたしのことはお忘れください。わたしは自由きままに旅をしとうございます」
「仕方ない。今は咲の面倒までみる余裕などないのだ」
「承知しています。この話はこれで……」
「納得してくれたか? で、咲はいずこに行くつもりなのじゃ?」
「ハイ。鑑札は女音曲の旅芸人ということで関所通行御免でお願いしてございます」
「そうか。わたしはまだ何処にとも決めていないぞ」
「才次郎さまもわたしも風任せの旅ということにしましょう」
「済まぬ」
「いいえ。これでいいのです」
「だが、わたしが勘当されたからといって、咲までが屋敷を去ることはなかろう?」
「それは、わたしの自由です」
「わたしとて、出たくて家を去るのではない」
「分かっております。お父上さまは、ここでお屋敷に残せば、いずれは左門さまがお咎めを受けなければならないことをお考えの上で、左門さまのお命を救うために今回のご処置をお考えになられたのです」
「それは、分かっておる」
「これからの左門さまのご苦労は、さぞやと思われます」
「覚悟は出来ている」
  縁に出て草鞋のひもを結び、咲に手渡された荷を背負い編笠を小脇に抱え込むと、いっぱしの旅姿になり気持ちも引き締まるが、悲しみもまた胸の内に広がっていた。
「ご立派です」
「なにが立派なものか。家を捨てるのだぞ」
「お部屋住みの身であれば、どなたでもいつかは家を離れて暮らすものです」
「そうだな。嫡子に生まれなければ養子縁組を待つだけだからな」
  咲の慰めに頷いてはみたが、自分は追われる身であることを悟らずにはいられない。
  左門は庭を眺めた。自分が育ったのは、自然の山河を模して体裁よく整えられたこの大道寺屋敷の造られた景色の中でだったが、これからは大自然の中で野性児として生きてゆかねばならない。それは不安ではあったが、新たな新天地に生きる未知への期待感と自由を得た喜びもかすかではあるが胸中に芽生えていた。
  庭の片隅にそびえるケヤキの大木を仰ぎ見ると、風に揺れる新緑の枝葉のはるか上空に白い真綿のような雲が浮かびゆっくりと動くのが樹木との対比で目に見えた。青く澄み渡った空が暗い小部屋から出たばかりの左門にはまぶしかった。
  これからは流浪の旅がある。それは、いずこにか流れ行く左門の人生を象徴しているかのようでもあり、春たけなわの景色にしてはもの悲しかった。
  大小を腰に差し、旅支度の心得に従って柄袋を被せようとすると咲がそれを制した。
「それはいけません」
「なぜじゃ?」
「どこで不意打ちがあるか知れないからです」
「まさか、いくら柳生とて白昼から襲うことはあるまい」
「でも、油断はなりませぬ。お刀はいつでも抜けるように願います」
「そうか……」
  身支度を整えて表門に向かうと、大道寺家を去る左門の見送りにか門内に家来や従者がすでに集まっていて酒肴の用意もあり、その中央に父母がいた。左門の姿を見て父の玄蕃直方が進み出た。
 

「左門! 晴れの門出に餞別として無骨ながら大道寺家の舞いを見せてやる」
  その一言で、大道寺家の家来や従者の数人が素早く動いていきなり抜刀し、左門目掛けて襲いかって来た。左門は本能的に刀を抜いて不意打ちの刀を振り払った。
  左門は、今は亡き先代の剣術師範柳生又右衛門仕込みの新陰流の腕の見せ所とばかりに父から譲り受けたばかりの助国を振るって防御から反撃にと思ったが、目先に迫る白刃から身を守るのがせいいっぱいで反撃などままならない。
  やはり、河原での柳生兵介との決闘で体感した通り、道場での柳生の袋竹刀での叩き合いなど何の役にもたたないのだ。
  大道家の誰もが、左門を傷つける気がないのは見えたが、それでも下手をすれば致命的な怪我をしかねない。左門に対する一人一人が本気で切り込んで来るのは耳元をかすめる剣風の鋭さでもよく分かった。
(冗談じゃない、こんなところで身内に殺されてたまるか!)
 左門は襲い来る白刃を打ち払い身をのけ反らして避けながら、今までの剣の修行が形だけのもので人を切るどころか、身を守ることすら難しいことをつくづくと感じて挫折感を味わった。従者達は左門に二太刀三太刀と剣風鋭く切り込んできてはすぐ下がり、刀を鞘に収めて他の者と左門の真剣勝負を見つめていた。
  小ぶりの刀を自由自在に用いて左門を攻める鋭い太刀捌きの男がいた。攻めるも引くもで一切無駄がなく左門を切る気なら一刀の元に切り殺せるのが明白な腕前で、柳生兵介より格段に強いのが左門でも分かった。荒い息を吐いて数歩下がり、何者かと相手の顔を見ると、男がおだやかな表情に戻って刀を引き、鞘に収め姿勢を正して深々と辞儀をした。
  なんと左門の愛馬「ゆうかげ」の厩係で馬丁の忠吉という中間で日頃から腰に太い木刀を差していたが、その木刀が鞘だったのだ。
「咲、立ち会うてみるか?」
  父の玄蕃直方が招くと、人陰にいた咲が「ハイ」と応じ、その声の語尾が消えもせぬうちに音もなく速歩で前に進み、そのまま歩みを止めずに左門に近づいて来る。しかも、いつ抜いたのか咲の右手に握られた短刀が陽光にきらめいて左門を襲ってきた。
  とっさに振るった左門の刀が、逆胴で咲の腹を切り裂いたはずだったがそこに咲はいなかった。左門の横に払った刀は虚しく空を切り、風のように左門の背後にまわった咲が左手で素早く左門の首を抱え、右手で短刀の切っ先を喉に当てて笑顔で囁いた。
「お命、頂戴つかまつりました」
  そこで咲は一礼をして身を引き、何事もなかったようにまた元の人陰に控えた。
  左門はとっさの状態で刀を振るった瞬間、咲を惨殺したと感じ「しまった!」と思ったのだが、咲はその鋭い一撃をどう避けたのか、飛んだのか潜ったのか、まったく左門には見えなかった。なぜ、咲の短刀の刃先が喉に食い込むまで何も気づかずにいたのか? 喉元からかすかに血が流れて汗ばんだ胸元を染めるのが汗とは違った生ぬるい感触で分かった瞬間、左門は恐怖で足が震えているのを感じた。自分もまた何人かに手傷を負わせていたのを覚えている。この場では仕方のないことだった。
  しかし、今まで無敵と思えた自分の剣の力は無に等しく、若い女一人にさえ敵わないとなると、柳生の追撃を受けたら一溜まりもなく倒されてしまうだろう。(これからどうすればいいのか?)、左門は肩を落としてただ呆然と立ち尽くした。

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  その姿をしばし見つめていた父が呼びかけた。
「そのまま、そのままでいいから肩を下げたまま力を抜いて正眼に。左手だけで柄をしっかり握って刀を支え、右手はいつでも自由に動かせるように添えるだけ……」
  この声に従って左門が構えると、すかさず馬丁の忠吉が木刀に見せかけた仕込み刀を抜くやいなや一瞬の間も置かずに切りかかって来た。不思議な光景だった。あれほど剣風が鋭く感じた忠吉の袈裟斬りの一撃が子供の遊びのように遅く力なく感じられ、軽く斜め横に避けただけで空を切らせ、撃つ気であれば明らかに隙だらけになった忠吉の胸を突いていた。左門は忠吉が手加減をしたと思い、同情される自分が辛かった。しかし、次々に打ち込んで来る一族の者の真剣な表情を見たとき、無我の境地で生死を越えて剣を振るう自分に気づきハッとした。恐怖感も怒りもなく高ぶる心さえなく刀を振るっている自分がいた。庭の梅に囀るうぐいすの鳴き声が聞こえた。これだとどんな敵でも倒せる。
  この一瞬の油断を父が見逃さなかった。
「左門、行くぞ!」
  父の声にあわてて刀に添えた右手を握りなおして正眼から上段にと剣先を上に向けた瞬間、父の刀の切っ先が鋭く走って右の親指に触れんばかりの至近距離で止まった。
「左門、指が落ちたぞ! 柳生は道場と違って実戦では小業を使ってくる。左門も又右衛門殿から指南されて存じおろうが、柳生の新陰流では、目遣い、大曲、小調子という極意がある。相手の目の動きに合わせて相手の心を読み、敵がどう出るかが分かったら先手を撃つ。しかも、鋭く小さく動きを封じるだけでいいから指でも肘でも傷つけて、ひるんだところを一気に仕留める……しかも、こちらが小業をと思うと一気に頭上から打ち込んだりと大業に移行する。これが柳生の大調子、小調子、小調子、大調子の連続業だ」
「防ぎようは?」
「柳生の戦法は柔硬織りまぜて群れで攻めてくる。いくら防いだとて疲れたら負けじゃ。先手必勝とはいえ柳生は手強い、緒戦で相手を倒すのは無理じゃから防ぐだけ防ぎ、疲れ切った振りをして余力を残し、敵の油断を見て一気に攻めるしか勝つ手はない」
「わたしに出来ますか?」
「出来るとも。先刻の肩を下げた自然体……あれで防ぎ切れれば充分に勝機はある」
「では、いま一度!」
  一族郎党が見守る中、意気込みもなく自然体で正眼に構えただけの左門は、柳生に模した父の打ち込む太刀をことごとく退けた後に隙を見て一気に反撃に出て、父の腹部から三寸のところで刃先を止めた。
「でかしたぞ左門!」
  思わず全員が拍手をし左門の勝利を祝った。
  刀を収めた左門は、庭の土に片膝をついて父に礼を言い別れを告げた。
  柳生に対する備えの稽古とはいえ、つい勢い余って軽い傷を追わせた中間に詫びを入れ、別れの杯を交わして大道寺家を後にした。懐にある父からの添え状先、熱田神宮のの田島主善の元に向かうのだ。
 振り向くと咲の姿はない。左門の後を追うというのは口先だけだったのか。
 左門は首を振って迷いを振り切り、孤独な一人旅への覚悟を決めた。

8、勘当‐3


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