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大原幽学
39、忍びの里‐4

40、忍びの里‐5


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 立ち上がった勘兵衛を、座ったままの孝次郎がなだめた。

「まあまあ、鵜飼屋さんの気持ちも分からぬではないが、才次郎さんにも考えがあっての上洛だと思うので、ここは一歩引いて、好きなようにさせて上げたらどうかね」

「それもそうだな。ま、せっかくの食事と酒だからあり難く頂くか」

 大人げなく息巻いたのを恥じたのか勘兵衛が、きまり悪そうに腰を下ろして、目の前の卓にある徳利と杯に手を出した。その顔は人の良さそうで旅籠のオヤジに戻っている。

 食事中の咲が箸をおいて、控えめに言った。

「わたしは、尾張に戻って忠吉さんの様子をみてきます。体が回復するようなら、わたしが大道寺家にお断りを入れた上で、連れ帰って参ります。忠吉さんなら、今後の甲賀村の再興に役立つのは間違いありません」

「咲はその後、どうする?」

 孝次郎の疑問に咲が迷いなく答えた。

「好きに生きさせて頂きます」

「甲賀の指導者になってくれぬのか?」

「わたしは、もう誰にも拘束されたくないのです。でも、日々の修養は実践で続け、身をもって世の中のために尽くし、甲賀にも恩返しをしとう存じます」

「そうか」

「わたしが倒した同じ忍びの伊賀の方々に対しても、それが礼儀でもあり供養にもなるかと思いまして」

「それも一理あるな。好きにするがいい」

「ありがとうございます。甲賀の里には必ず恩返しをさせて頂きます」

 咲がチラと左門を見た。咲はひたすら左門を見守って生きるつもりだったのだ。

 左門は、まだ咲の決意には気づいていない。ただ、好きに行きたい、と言った咲の真摯な表情が、まぶしいほど輝いて見えたのも新鮮な思いがした。

 それと、とうに滅びたと思っていた甲賀や伊賀の忍びの組織が、かつては戦国時代各大名の手足となって活躍した頃の勢威は失って弱体化したとはいえ、いまだに滅びることなく組織とし命脈を保っていたことにも左門は驚いていた。しかも、長年にわたって自分の身のまわりの世話をしていた咲が甲賀一のくノの一だったとは……。

 さらに、自分が住み慣れた尾張からほど近い鈴鹿の山中に、とうの昔に滅びたはずの僧兵軍団である根来衆の残党が、山賊になってしぶとく生き残っていることにも目を見張る思いがした。

 昔、鈴鹿山には鬼丸という山賊がいて悪事を重ねていたという故事は、左門も幼いときに周囲から聞かされていた。だが、まさか、国家統一を果たした豊臣秀吉にさえ歯向かった強力な根来寺の僧兵が野に下ってこの山に籠もり、何代もの世代を継いで新たな天下騒乱に向けて復権のための牙を研いでいる。この一事を知っただけでも左門の血は騒いだ。

 今も昔も、この鈴鹿山脈が滋賀と三重にまたがる忍者の里であるのは間違いない。

 かつては、夜盗や山賊を業とし、渡りスッパなどと呼ばれた浮浪人が戦国武将の諜報活動に使われていた時代もあった。その機動力を買った各武将が食録を与えて雇ったのが抱えスッパで、これが、奇抜な奇襲戦法を術として発展させた忍者の前身と聞く。

 この忍びの術は、戦乱の世の重要地点として鈴鹿山系に絡む里人の切磋琢磨による錬磨によって、孫子の兵法や和漢の教典を学び、術として発展させたものだという。

 それが、明智光秀の謀叛による本能寺の変によって天下人の織田信長が殺され、小人数の家臣と泉州堺にいた徳川家康が孤立して明智の追撃を受けながら命からがら三河に逃れた時、甲賀・伊賀の忍びの集団に守られて、無事に脱出できたのだ。家康はその恩義に感じて、江戸城に入ってからも正門を甲賀衆、裏門を伊賀衆に配備し、その上の御庭番として重用したことは巷間によく知られ、左門でさえ忍者といえば鈴鹿山系の山々を思い浮かべるのだ。

 それにしても、生き抜くということは大変なことらしい。

 左門は、若くして勘当された身である上に、これからの天涯孤独な身の上を思えば、いくら一人で力んでも何一つとして実現出来るとも思えないが、それでも、自分がこのまま埋もれてゆくとも思いたくなかった。

 何らかの形で世のため人のために尽くして、この世に生きた証を残したい。これが十八歳まで育ててくれた大道寺家への恩返しになる。若気の至りで家を捨てた悔恨や悲しみよりも、好むと好まざるとに係わらず未知の世界に進むしかない自分の運命を、左門は前向きに享受する心境に至っていた。

 部屋住みとはいえ尾張藩三千五百石の家老の家に安住していた左門には、見ること知ることの全てが新鮮で珍しかった。尾張にいた頃の日々は、朝起きてから寝るまでが決まりきった暮らしだったが、今は毎日が波瀾の連続で息を抜く暇もない。それがまた、左門の好奇心を煽る。と、同時に未知の世界に向かうことを思うと身震いするほどの恐怖に襲われることがある。

 主膳との旅は京で終わる。そこからは天涯孤独な一人旅となるのは間違いない。

 それでもなお、孤独な流浪の旅に生きなければならない宿命を背負ってしまった自分を哀れんでもいられない。明日もまた夜が明ければ、新たな旅の一日が始まる。

 その旅は孤独だが、孤独なのは自分だけではない、咲もまた孤独なのだ。しかも、流浪の旅は自分や咲だけではない。神国日本もまたエギリスなど世界の列強にもまれて大海に漂う小舟のように目標を見失っている。

 いずれ日本は世界の列強として開国しなければならない時期が来る、と主膳は左門に言った。その主膳があろうことか、鎖国して朝廷復活による国政を願う攘夷派の黒幕でもある九条家に招かれた田島主膳……その意味も知らずにお供として随ってきた自分の無知さにも左門はおのれを恥じた。

 左門は目を閉じた。

 その主膳の話では、いずれ日本は国を開いてっ世界と交わるという。夢のような話だがあり得ないことではない。その主膳が言った言葉が頭に強く残っている。

「日本は大きく変わる。その時には捨て石になれ」

 自分にそれだけの器量があるとは思えないが、左門は、この孤独な身を天下国家に捧げることに未練はない。では、天下国家とは何だ? 国とは朝廷のものでも幕府のものでもない。民の集まりがあってこそ国家ではなかったのか? ならば、国家の捨て石になるということは、世の表舞台から忘れられて貧しく暮らす人のために自分を捨てることでも叶えられる……その覚悟ができるか? 左門は自問自答していた。

「どうした才次郎?」

 主膳の声で目を開くと、勘兵衛が言った。

「田島さまも大道寺の若さまも一期一会のご縁でしたが……その立場がいかようになろうとも、いざ、という時は、この甲賀土山宿の鵜飼屋の勘兵衛にお声をかけてくだされ。いかなる時でも、一党を率いて馳せ参じますぞ」

 主膳が笑った。

「また浪人を集めるのかね?」

「とんでもない」

「では、長兵衛とやらに頼んで鈴鹿の山賊を動員するのかね?」

「田島さま、お言葉ですが甲賀にも意地があります。もう根来衆の手は借りません。それまでには、甲賀忍びの地侍をみっちりと叩き直して戦う軍団に仕上げておきますので、ご心配なく」

「それは頼もしいな」

「それと、なぜか分かりませぬが、大道寺の若さまであった才次郎さんには、我が甲賀一族と同じ血を感じますので、なんとなく親しみを感じるのです。ちと、お聞きしますが、先ほど言われた大原という姓はどちらから出たお名ですかな?」

 左門が言い淀むと、遠慮がちに咲が答えた。

「大道寺のお殿様が、才次郎さまとのお別れに際して、大原左門と名乗るようにと名付けられました」

「その大原左門という名は、大道寺様の思いつきですかね?」

「お殿様の思いつきか、心のどこかにその名があったのかは知りませんが、迷いなく大原左門の名をお出しになったのは事実です。きっと、わたしと忠吉さんの出自が大原であることをご存じですから、そこから命名されたのかも知れません」

 勘兵衛が左門と孝次郎を見た。

「それにしても、才次郎さんが甲賀の名門の大原と名乗るのも何かのご縁、なぜか、他人とは思えんのだが、この土山宿の用心棒となってこの地に留まってくれませぬか?

 孝次郎さんはどう思うかね?」

「わしは、そうまでして才次郎さんに執着しようとは思わぬ」

「しかし、これだけの若者が甲賀に残ってくれたら大きな戦力になると思わんかね?」

「確かにその通りだが、人はそれぞれに自分の道がある。いつかまた才次郎さんがここに足が向いたら戻って来て頂く……それで手を打とうじゃないか」

「孝次郎さんの考えがそれなら仕方がない。残念だが諦めるか」

 左門が頭を下げた。

「かたじけのうございます」

 志津が一座を見回して、控えめに問い掛けるように告げた。

「そろそろ、お休みになりますか?」

 この一言で勘兵衛の腰が浮いた。

「では、わたしは家に帰って湯にでも入って寝るとするか」

 勘兵衛が去り際に、さり気なく孝次郎に聞いた。

「孝次郎さん、茶屋の長兵衛の正体は?」

「さあ……?」

「いつ会ってもひょうひょうとして、本性を見せないのが気になってたんだ」

「あの通りの男だよ」

「根来衆を手足のように使えるのも、田島様を狙った武士たちの命を二百両という大金で買い取ったのも凄いが、それで大藩をゆすろうという性根も尋常ではないぞ」

「だから?」

「孝次郎さん! あんたは甲賀党を裏切ってまで長兵衛をかばうのか?」

 志津も勘兵衛に続いて夫を攻めた。

「あたしも前から変だと思ってたのよ。あなたは長兵衛さんとだけは私に内緒で会ってるわね?」

 佐助が口を出して志津を見た。

「おらは、知ってるだよ」

「なにをだね?」

「長兵衛さんに口止めされてただが、甲賀のためだから言っちゃうだ」

「なにを知ってるの? 隠し立ては許さないよ」

 志津の詰問に、佐助が観念したようにしぶしぶ答えた。

「長兵衛さんは、おらに山での走り方、戦い方を教えてくれてただ」

 勘兵衛が目を剥いた。

「佐助には、孝次郎さんという立派な師がいるじゃないか?〕 志津も責めた。

「あんたは、一人で山に入って修行してるって言ったでしょ?」

「一人だよ。長兵衛さんの後を追っ掛けるだけって修行だからね」

「どんな?」

「茶屋の裏で会って、長兵衛さんが山に入るのを追うだけだが、長兵衛さんは風のように木々の間を走り抜け、一間も二間も飛び上がって枝から枝を伝って山の中を平地のように走るだが、まだまだ追いつくのは難しいだ」

 孝次郎が観念したように呟いた。

「長兵衛さんは、秀吉に滅ぼされた北条家と共に消えた風魔一族の末裔なのだ」

「そんな馬鹿な。風魔は壊滅したはずだぞ?」

「われわれが生きているように、風魔もまた連綿として生き残っている。長兵衛さんは風魔の頭領なのだ」

 勘兵衛が呻いた。

「それで読めた。あの長兵衛は、人質にした武士団を手土産に薩摩藩に恩を売り、一族を雇わせるつもりだな?」

「それも、根来衆も含めての仕官になる」

「倒幕の機があればその連中が先駆けを勤めるのか?」

「そのような場合もあろうな」

「孝次郎さんはそれを知っていて、何故に阻止せぬのだ?」

「伊賀も根来も風魔も含めて、甲賀同様に忍びの士は不遇のまま飢えにも耐えての長い年月を、隠忍自重して無為に過ごして来た。ここで、少しでも暮らし向きがよくなれば、お互いに悪いことではないような気がするでな」

「いつか、戦場で敵味方に分かれて殺し合うようになってもか?」

「お庭番で三十石取りの士分に取り立てられたところで、忍びは所詮は野の草だ。どこで踏みつぶされようが文句は言えん。種族を絶やさないことこそ肝心じゃないのか?」

「孝次郎さんはいつから甲賀だけじゃなく、根来や風魔の味方になったのだ?」

「味方でも敵でもない。ただ忍びの道の存続を願っているだけじゃ」

 主膳が頷いた。

「太平の世が続くと忍者は不要だが、天下騒乱の兆しある今後はまた活躍の場ができそうじゃな」

 勘兵衛が応じた。

「その時こそ甲賀武士の面目をかけての戦いになります」

 勘兵衛が去り、左門と主膳は志津と咲が用意した寝具で眠りについた。

 甲賀、伊賀、根来……それに加えて、歴史の舞台から消えていた風魔一族までもがこの鈴鹿山系のいずこにか生き長らえていた。しかも、これらの集団がそれぞれ、主膳の言った

「天下騒乱」の時を待っていたのか?

 その夜、左門は忍者の群れを相手に剣を振るう夢を見た。黒装束の彼らは切っても切っても不死身のように蘇って左門を襲う。やがて左門は睡魔に襲われた隙を狙われて四方から切り刻まれ、悲鳴を上げながら深い奈落の底に落ちて行った。

41、人の情け‐1


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